9月1日 防災の日(今村明恒について)
今日は、ご存じの「防災の日」です。1923年9月1日の関東大震災にちなんで制定されたことはよく知られています。
テレビの報道によると、今年は3月に東北大震災の教訓に学んで、各地で大規模に実践的に防災訓練がなされていたようです。
さて、「防災の日」の前日、8月31日のNHK「歴史秘話ヒストリア」をご覧になりましたか。(再放送 9月7日16:05~16:48の予定)
関東大震災の18年のも前の論文で「50年以内に東京に大地震がおこる」と予知して警告していた学者・今村明恒が取り上げられていました。
大地震の予知によるパニックで「ほらふき」と非難され、関東大地震後は復興めざして活動を広げた時には「地震の神様」になりました。
このとき今村は「人の命を救うためにたたかう」決意をしました。(日記より)
さらに研究を続ける中で、過去の地震の年代から地震の周期を発見し、南海地震がおこる危険性を予知し、警告を発し、その対策を政府に迫りました。
太平洋戦争が迫ってくるなかで震災対策の費用を政府が渋ったので、やむなく自費で観測所を設置しました。財産を使い果たしたということです。
一方、西日本の町村を東奔西走して警告を発し、地震がおきたときの避難方法などを訴えてました。
しかし不幸なことに不安が的中してしまいます。
津波が発生して1400人の死者が出た1946年12月の南海地震です。今村はラジオニュースで地震を知ったということですが、悔しい思いをしたことでしょう。
今村は、地震から人の命を救いきれなかったという思いをもって、南海地震の翌年この世を去ります。
しかし、番組の最後、今村のお孫さんが見つけた資料の中に、当時の高知県室戸町の元町長からの感謝の手紙が紹介されました。
手紙には、「津波におそわれましたが平素のご教示の通り行動したので一人の死者も出さなかった」(要旨)と書かれていました。
津波から人々を救った江戸時代の庄屋の話を扱ったラフカディオ・ハーンの「稲むらの火」を、渋る政府を説得して小学校の教科書に取り上げさせたのも今村でした。
この教材は、津波が来たら「より早く、より高いところへ逃げよ」と教えた最初のものです。
今村の地震学は現在にも引き継がれ、地震予知の原点になっているということです。たとえば、大地震の前には必ず地盤沈下がある、ということなどです。
この番組で、偉大な人物を新たに知ってうれしくなりました。
