10月9日 宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルへ向けて発進

 2199年の今日は、 「宇宙戦艦ヤマト」がイスカンダルに向けて地球から発進した日です。
 もちろん人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の中のできごとです。

 「宇宙戦艦ヤマト」は、1974年にテレビで放送されたアニメーション、およびその後に劇場公開された一連の作品をさしています。
 
  現在でも 宇宙戦艦ヤマトのプラモデルは子ども達にも大人気です。

 当時の私は仕事が忙しくて、7時という時間帯に家庭にいることはほとんどありませんでした。ですから、このアニメは見たことがなく、記憶に残っていないのです。
 ただ、主題歌の歌詞の一部分だけは知っていました。でも何のためにイスカンダルに行こうとしているのかな?、という程度の知識しかなかったのです。 

視聴率は低かったといわれています。
 放送当初は同時間帯の「アルプスの少女ハイジ」 が超人気番組で、この影響もあって予定の回数を待たずに打ち切られました。
 
 ところが、再放送のころから注目されはじめ、人気が出てきました。
 再編集され、劇場映画として公開されるころには大ブームだったそうです。SFに興味がない私は、ブームにはもちろん乗れませんでした。

 
 さて、ストーリーは、西暦2199年の地球から始まります。
 冥王星を前線基地とした宇宙人・ガミラス帝国の侵略を受けていた地球は無惨な姿でした。
 
 海水が蒸発した地球は赤茶けた姿に変貌していました。放射能の汚染で地上の生物は死滅していました。
 
 人類は地下都市を建設し、地球防衛軍を結成して抵抗を続けていました。しかし、地下都市にも放射能の汚染が進行し、人類の絶滅まであと1年余りと迫りました。

 そのころ火星に宇宙船が不時着しました。
 宇宙船には、「放射能除去装置・コスモクリーナーDをイスカンダルまで受け取りに来るように」との救援メッセージと、航海に必要な波動エンジンの設計図が納められていました。
 
 さっそくヤマトが作り直され、波動エンジンが搭載されました。
 放射能除去装置・コスモクリーナーDを受け取って、地球に帰還する任務が「宇宙戦艦ヤマト」に与えられたのでした。

 14万8千光年の彼方、大マゼラン星雲のイスカンダル星に向け、1年以内に帰還しなければ人類滅亡という状況のもと、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて発進しました。

 ヤマトは、ガミラス帝国の攻撃と戦い、未知の宇宙空間における障害を乗り越えながら、イスカンダル星をめざして行きました。

 TV版「宇宙戦艦ヤマト」の最終話で、ヤマトの帰還とともに、荒廃した地球がもとの青さを取りもどすさまが描かれています。

 
 さて、現代において放射能は、「地球上の多くのガミラス帝国」によって実際に汚染され続けています。
 核戦争ともなれば「アニメの2199年」のような荒廃した地球になるのは目に見えています。

 現代の地球人が、イスカンダル星のコスモクリーナーDをほんとうに受け取りに行かなくてもいいように願っています。

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10月1日 記念日のオンパレード

 今日、10月1日は夏の衣装から冬の衣装に切り替わる「更衣」の日として、ふだんの生活にもとけ込んでいます。
 学生の制服(標準服)の冬服に切り替えられます。周囲の景色も違ったものになり、新鮮さを感じます。
 ただ、私の場合、6月の更衣は白色がぐっと増えて、社会が明るくなった気がして好きなんですが、10月の更衣は黒色の系統が増えて、暗いイメージになるので嫌いでした。

 さて、今日は記念日のオンパレードで、いろいろな記念日があります。どんな記念日があるか、羅列してみましょう。

  「日本酒の日」
  新米で酒造りを始めるのが10月で、酒壺を表す「酉」の字は十二支の10番目であることからこの日が記念日になりました。
 若者の日本酒離れがどんどん進んでいるようですね。

 「醤油の日」
 「醤」の文字に、十二支で10月を表す「酉」の字が含まれることからこの日になりました。

 「ネクタイの日」
 1884(明治18)年、小山梅吉が日本で初めてネクタイの製造を始めたことから記念日となりました。
 ネクタイを締める人は少なくなりましたね。
 私の場合は、年に0~5回程度です。 

 「国際音楽の日」
 ユーディ・メニューイン(バイオリン奏者)が、国際紛争が絶えないことを憂いて提唱しました。
 国際的な連帯のもとに音楽の記念行事を催すことが決定され、日本では1995年から施行されています。
 
 「赤い羽根の日」
 おなじみの赤い羽根共同募金運動開始の日です。 

「都民の日」
 東京都が1952(昭和27)年に制定しました。
 明治維新以後、東京は明治政府の全面的指導下の特別市でした。しかし、1898(明治31)年、自治権を持つ一般の市になりました。
 この日、都内の公立学校が休みになり、庭園・動物園・植物園等の入場料が無料になります。

 「香水の日」
 フランスでは新しい香水の発売日が毎年10月1日ごろであることからこの日が記念日になりました。

 「食物せんいの日」
  「1001」を「千一」と見立てて「せん(千)い(一)」の語呂合せです。

 「乳がん健診の日」
 乳がん患者などによる「あけぼの会」が制定しました。「乳がん早期発見強化月間」の1日目になります。
 私の胃癌発見の教訓は、「早期発見・早期治療」です。早い目の検査をかならず受けましょう。

 「磁石の日」
 N極を+、S極を-とし、+-を十一に見立ててこの日になりました。

 「荒川線の日」
 1974(昭和49)年、都電で最後に残された27・32系統が統合され「荒川線」の名称がつけられた日です。

 「土地の日」
 「十」と「一」を組み合わせると「土」の字になることから、当時の国土庁(現在の国土交通省)が1997年に制定しました。

 「コーヒーの日」
  国際コーヒー協会が定めた「コーヒー年度」の始りの日です。
  コーヒー豆の収穫が終り、新たにコーヒー作りが始る時期であることから、全日本コーヒー協会が1983年に制定しました。

 「印章の日,ハンコの日」

 「食文化の日」

 「国際高齢者の日(International Day of Older Persons)」
 国際デーの一つです。

 「メガネの日」
 1をメガネのつる、0をレンズとみなすとメガネの形になることからこの日になりました。

 「デザインの日」
 デザインに対する理解を深める日です。

 「展望の日」
 全日本タワー協議会が、「Ten(10)棒(1)」の語呂合せで制定しました。
 全国の展望・観光タワーでさまざまなイベントが開催されます。
 
 「福祉用具の日」

 「浄化槽の日」

 「法の日」 
 

 今日は、記念日にのっとって各地でさまざまな行事がおこなわれる予定です。 

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9月26日 伊勢湾台風が襲来

 1959(昭34)年の今日は、「伊勢湾台風」が襲来した日です。
 この年の台風15号は、伊勢湾周辺に未曾有の大被害をもたらしたため「伊勢湾台風」と名づけられました。

 この台風による被害は、明治以来最大で、死者・行方不明者は5、000人を超え、57万戸の家屋が被害を受けました。
 犠牲者の数は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災まで、戦後の自然災害では最多のものでした。

 そのころ私は名古屋市立豊国中学校の1年生でした。台風が来れば学校が休みになると、前日の夕方までは台風に期待する気持ちが強かったのを覚えています。

 父は、台風の進路が紀伊半島に向かっているので、「紀伊山脈は高い山だから台風は乗り越えられなくて横に逸れるから、名古屋は大丈夫だ」と、どこかで聞いてきた話を私に聞かせてくれました。
 当時の大人達の間では、このような楽観的な話がされていたのでしょう。

 ところが、朝方、わりと土地が高い中村区にあったわが家でさえ床下浸水が始まり、天井からは雨水が染みこんできました。
 尋常ではないことを感じつつも、あれほどの大被害をもたらすとはまったく予想できませんでした。
 翌朝、休校になったので、のんきにも自転車で遠くまで街のようすを見に行きました。ところが被害の大きさをこの目で見てびっくりしてしまいました。

 被害のようすについては私がここで記すより、下記ホームページをご覧ください。

  怖ろしかった伊勢湾台風 (すみません、勝手にリンクを張りました。)
 
 <参考書籍> 忘れない伊勢湾台風50年 (楽天ブックス) 

 近くの母子寮が全壊して住居を無くした友人がいました。私の学級の一人で、やがて転校していきました。
 みんなが泣いて別れました。
 私は、セルロイドの筆箱に脱脂綿を敷いて鉛筆を6本並べて贈ったことを覚えています。

 海抜0メートル地帯であった鍋島干拓地、弥富町、名古屋市南部のむごたらしいニュース写真を連日見て、台風の恐ろしさに身震いしたのを覚えています。

 伊勢湾台風は、3,000人以上の犠牲者を出した台風として、室戸台風、枕崎台風とあわせて昭和の三大台風と呼ばれています。
 災害対策について定めた災害対策基本法は、この伊勢湾台風を教訓として成立したものです。
 従来の災害対策を根本からくつがえした台風でした。

 なお、本日9月26日は、台風襲来の特異日(統計上、台風襲来の回数が多い日)でもあります。
 「洞爺丸台風」(1954)で青函連絡船・洞爺丸が転覆したのも、「狩野川台風」(1958)が伊豆・関東地方に来襲したのもこの日でした。

 今年は、この日に台風が襲来せず、被害が出なくて良かったですね。

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9月24日 畳の日

 今日は「畳の日」です。全国畳産業振興会により制定されました。
 1年に2回あります。もう1回は4月29日です。

 4月29日は、いぐさの美しい緑色から旧「みどりの日」にちなんで決められ、9月24日は「清掃の日」にちなんで決められました。

 そもそも畳は、日本で発展してきた敷物で、その歴史は1万年以上も前の縄文時代の竪穴式住居にさかのぼるといわれています。
 そのころは土間に草を敷いて、その上に動物の皮などを敷いて寝ていました。

 弥生時代になると、草が薦(コモ)・筵(ムシロ)になり、飛鳥時代になると、板の床の上に敷く「たたみ」が誕生しました。
 
 奈良時代の文献では、古事記などに「畳」の字が現れています。
 このころの「畳」は、高貴な人の寝床や座る場所にしく、「畳んだり敷いたりするもの」という意味でした。
 皮でも絹でも、藁(ワラ)でも「たたみ」でした。
 つまり、使わない時は折り畳んでいたのです。「畳」とは「たたむ」ことを意味していたようですね。

 しだいに現在のような畳に進化していったのですが、畳が敷き詰められるようになるのは室町時代の書院造のころからです。
 一般の民家に畳が普及するのはずっと後のことです。
 
 部屋内に何枚の畳が敷き詰められているかで部屋の大きさ(床の面積)を表す単位として畳(じょう)が使われてきました。
 4畳半とか6畳とかがおなじみで一般的ですが。
 
 関西では、京間と呼ばれて、畳の寸法はもっとも大きいのですが、江戸間の寸法は少し小さ目になっています。
 このような畳のサイズが異なったのは、もともと一間(いっけん:畳の長辺の長さ)について課税された時代の影響だそうです。

 さらに中京間、団地サイズなどが加わり、4サイズが有名ですが、ほかにもさまざまなサイズがあるようです。
 関西の京間の家屋で育った人が、結婚して団地に引っ越した人が、一部屋の実質的な狭さに息が詰まりそうなストレスを感じたといいます。

 近所の畳屋さんが店を畳みました。しゃれのつもりではありません。畳の需要が減り、日本の伝統的な畳産業はピンチです。
 
 一方で、売り上げを伸ばしている畳店もあります。24時間営業に変更したら売り上げが伸びたそうです。
 深夜に畳を入れ替える料亭や飲食店からの注文が増えたからです。

 最近は畳に触れる機会がぐんと減りましたね。日本家屋でも内装は洋間というものが増えていますね。

 私の友人や娘のマンションは、畳の間がまったくありません。全室フローリングです。何かもの足らない淋しい感覚がします。
 友人の家では 健康いぐさ を敷いて、昼寝をしているそうです。

 一般の家庭で、畳が見直されて、もっと地位が向上するといいです.

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9月14日 コスモスの日

 今日は「 コスモスの日」と言われています。いつ、どこで制定されたかはよくわかりません。
 
 「コスモス」は、秋に桃色、白、赤、黄色などの花を咲かせる美しい花で、人々に好かれている花の一つです。
 花は本来、一重咲きですが、花が丸まったものや、八重咲きなどの品種が作り出されています。
 
 原産地はメキシコの高原地帯です。
 18世紀末にスペインのマドリードの植物園に送られ、コスモスと名づけられました。

 日本には明治20年ごろに渡来したと言われています。
 俳句では、秋の季語としても用いられています。

 コスモスの花畑が観光資源となっていたり、多くの市区町村がコスモスをシンボルとしています。

 たとえば、東京都の西東京市、奈良県の大和高田市、大阪府の貝塚市、香川県の坂出市、福岡県の久留米市、名古屋市北区、大阪市都島区など40数市区町村にのぼっています。

 埼玉県深谷市長野県の佐久高原など、各地でコスモス祭りがひらかれています。

  ちなみに、赤いコスモスの花言葉は「愛情」です。
 バレンタインデーから半年近くたった今日9月14日は、プレゼントにコスモスを添えて交換し、お互いの愛を確認しあう日といわれています。

 このためかどうか、「メンズバレンタインデー」として、男性から女性に下着を贈って愛を告白する日と言われています。
 あまり定着しているとは言えませんね。
 商魂だけで制定された記念日の一例です。

 また、反対に「セプテンバーバレンタイン」とも呼ばれ、 別れを切り出す日でもあるということです。
 
 バレンタインデーがらみの記念日は拡張の一途ですね。

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9月10日 映画「羅生門」がベネチア国際映画祭で金獅子賞

 1951年の今日、「ベネチア国際映画祭」で、黒澤明監督の映画 「羅生門」 が日本映画では初の金獅子賞を獲得しました。

  この受賞によって、ヨーロッパ・アメリカなど世界に黒澤明や日本映画が紹介されるきっかけとなりました。

 この映画は大きな影響を与えました。
 影響を与えたのは、一つの事実に対して、相反する複数の視点にもとづいて、まったく違うように回想し、はたして真実はどうだったのかと、観客を混乱させる手法です。
 この後、アメリカなど多くの国の映画や小説に影響を与えました。

 芥川龍之介は「今昔物語集」などの古典から多くの素材を得て自分なりの創作をおこなっています。
  「今昔物語集」 巻29・第23話には、「丹後へ旅する途中、若い盗人に弓も馬も何もかも奪われたうえに、藪の中で杉の木に縛られ、妻が手込めにされるようすをただ見ていただけの情けない男の話」があります。ただ、ここでは殺人事件はおきていなくて、この夫婦はそのあと丹後へ旅を続けています。

 芥川は、この情けない男を殺して、殺人事件に仕立て上げて小説「藪の中」を創作しました。(この作品が映画「羅生門」の原作になりました)
 
 小説は、藪の中でおこった殺人事件を7人の証言者が証言・告白するという形式でなりたっています。
   第1発見者の木樵
   妻を連れた男と道で遭った旅法師
   盗人を捕らえた放免
   媼(妻の母)
   捕らえられた盗人   
   清水寺で懺悔する男の妻
   巫女の口を借りて現れた男の死霊
   
 それぞれの証言はなるほどと思うほど説得力があります。しかし、武士の死因については、殺人または自殺というふうに見事にくいちがっています。
 
 結局、真相はどうなっているのか、犯人はいったい誰だったのかはまったくうやむやのままになっています。それぞれの供述調書を並べただけといえます。
 
 私の勝手な想像ですが、芥川は、関係者があまり多すぎても、つまり情報提供が多すぎてもかえって真実がわからないこともあるといいたかったのでしょうか。
 情報のねつ造や情報操作もあり、真実はどこにあるのか特定できないこともあるといいたかったのかもしれません。
 
 私たちは、関係者の言い分がくいちがったりして、真相がはっきりしない時に、「~は闇の中」とか「~は霧の中」とかいいますが、この小説の題名をそのまま使って「まるで藪の中」というふうにも使っています。
 なお、海外では、これを映画化した「羅生門」の題を借りて、「まるでラショーモンのよう」といいあらわすこともあるといいます。

 この作品は推理小説の一種としても高い評価を得ています。
 映画が完成した時に、当時の大映社長は「この映画はわけがわからん」と批判していたそうです。

 私が「羅生門」を最初に見たのはたしか20歳前後でした。人生の経験不足で、私も、その時はまったく訳がわかりませんでした。
 芥川の小説にある 「羅生門」とは関係がありません。

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9月6日 黒酢の日

 今日は、「黒酢の日」です。
 9月6日の「96」が「クロ」と読めることから、語呂合わせで決まりました。
 
 黒酢は、米酢の一種であり、主に玄米を主原料にしています。色は褐色または黒褐色をしています。小麦、大麦を含んでもかまいません。
 近年、リンゴ、きんかんを使った黒酢も登場しつつあります。

 黒酢にこだわらず、酢一般のことですが、酢は肉を柔らかくする効果があります。鶏肉などを茹でるときに酢を煮汁に加えると柔らかくなります。
 また、肉が骨から離れやすくなるため食べやすくなります。
 このような使い方をするときの酢は、黒酢ではもったいないですね。もう少し安物でいいでしょう。

 疲労回復のために、黒酢はすすんで飲まれています。
 上質な黒酢ほど舌触りがまろやかで、そのまま飲用するのにはいちばん適しています。
 
 黒酢にはクエン酸や豊富なアミノ酸が含まれています。これらが疲労の原因となる乳酸を分解します。そのため、血行の循環不良をおさえたり、疲労のもととなる乳酸をおさえる効果があります。
 さらに糖を加えて摂取すると効果があがるといわれています。運動によって消耗されたグリコーゲンが回復されるため、疲労の回復がさらに早くなるからだといわれています。

 ダイエットに効用があるとされて、健康食品の一つとしてさまざまな商品が開発されて発売されています。ブームになった時期がありましたし、今も人気があります。
 
 私は、以前、クエン酸健康法に取り組んでいた時期があります。薬局でクエン酸の粉末を購入して、小さなカプセルに入れ直して食後に飲んでいました。手間がかかるのでいつの間にか止めてしまいました。
 
 また、黒酢は高いので、玄米酢を水で割って飲んだことがあります。
 空腹の時に飲むと胃を荒らしてしまいますので、食事の一部として摂取するために食後に飲みました。
 
 水割り酢などクエン酸を摂取した後の尿の色はきれいな透明色になりますよ。気持ちいいぐらいたくさん出ます。
 疲れたときの濃い黄色とくらべると、科学的にはどうだかわかりませんが、きれいな尿を見ているとなんだか健康になったみたいな気がしていました。

 今は、食事で玄米図やポン酢を多用することに心がけ、紙パックの黒酢ドリンクを中心にクエン酸を摂取しています。

 なお、酢を飲むと身体が柔らかくなるというのは、まったくの誤解です。
 サーカスの団員が疲労回復のための飲料として購入することを、「あんなに大量の酢を飲むから、サーカス団員は身体が柔らかい」と噂されたということから信じられた誤解です。
 日本では古くから南蛮漬けなどにした魚の骨が酢の作用によって柔らかくなっていることからも誤解が生まれました。これはm唐揚げの効果だとおもいますが。
 
 体が柔らかくなるのは、訓練によって、靱帯を柔らかくし、関節が動く範囲を広げる意外にありえません。
 ただ酢を飲めばいいというものではありません。
 私は、恥ずかしいことですが、高校生のころまでは信じていました。

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8月25日 川柳発祥の日

 今日は、1757年8月25日に柄井川柳が川柳評万句合を開始したことによる「川柳発祥の日」です。
 柄井川柳(からいせんりゅう)は、江戸時代中期の人物です。
 
 当時、江戸庶民に人気のあった文芸に前句付というものがありました。
 前句付というのは、出題された七七の前句に対して、五七五の付け句をすることです。柄井川柳はこの句会を主催し、優れた付け句を募集して世間に発表するすぐれた点者(判定者)でした。

 俳諧(俳句)には季語や切れ字の制約がありますが、柄井川柳の付け句には、季語や切れ字などの制約はありませんでした。
 また、ふだんの口語を使って、人生の機微や世相・風俗をこっけいに、また風刺的に描写する特色を持っていました。
 付け句の一句そのもののおもしろさに重点がおかれました。

 柄井川柳が新しい趣向を好み、選句眼にもすぐれていたことが、上級武士もふくめて好まれました。1765年7月、刊行された「誹風柳多留」は、前句付の流行に拍車をかけました。
 そののち、前付句の五七五が独立し、初代柄井川柳の力で隆盛をきわめました。しかし、まだ「川柳」という名はなくて、当時は雑俳と呼ばれていました。
 雑俳? 何だか、そんなの俳諧(俳句)じゃないよと冷たく扱われていた感じがします。どんなものでも始めはこんなもんですね。
 
 「川柳」と言われるようになったのは明治になってからで、柄井川柳の名前にちなんだものです。
 人名が文芸のジャンルになっているのは「川柳」だけです。
 
 なお、私の理解がまちがっていました。川柳とは、俳諧(俳句)からいきなり季語や切れ字をなくしたものだと思っていましたが、前句付の文芸から派生したものでした。

 江戸時代の狂歌とならんで「川柳(当時は雑俳)」はおもしろいものあります。
  役人の子はにぎにぎをよくおぼえ(賄賂への皮肉)
  いくらいりますかと質屋はずらり抜き(武士が質屋に持って行った刀は本物かな?)
  一年を二十日で暮らすいい男(職人・花魁・若旦那の暮らしっぷり)
 江戸時代の「川柳」には、当時の人々の庶民の生活の生きざまが、生き生きと描かれています。

 現代の「川柳」は、新聞でも募集されていますが、あいかわらず高い人気を誇っています。
 おもしろい名作を見つけました。
 名作川柳

 私も一句、と思いましたが出来ませんでした。また後日発表します。 

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8月19日 鼠小僧次郎吉が刑死

 鼠小僧次郎吉は、1932(天保3)年の今日、処刑されて人生の幕を閉じました。

 鼠小僧は、江戸時代に大名屋敷を特にねらって荒らしたまわった盗賊です。
 中村座の木戸番の長男で、建具職人となりましたが、バクチに身をくずしてやがて無宿人に落ちぶれました。

 小さな体と身軽な運動神経を生かして、大名・武家屋敷を専門に忍び入り、人を傷つけることなく現金だけ盗み去りました。
 1825年、一度は捕まりましたが、初めて盗みに入ったと嘘をついて切り抜け、入れ墨を入れられて中追放の刑を受けました。
 江戸を去り、上方へ行きましたが、密かに江戸に舞い戻り、遊ぶ金欲しさにまた盗みをはじめました。

 二度目は1832年、日本橋浜町の松平宮内少輔邸に忍び込んだところを捕えられました。
 北町奉行所で取り調べを受けたのち、裸馬に乗せられて江戸市中を引き廻しののち、鈴ヶ森の刑場で処刑され、さらし首(獄門)になりました。

 忍び込んだ大名屋敷は、1回目の捕縛までが28カ所32回、江戸に舞い戻ってからが71カ所90回におよびます。盗んだ金の総額は3000両以上といわれています。
 しかし、この数字は鼠小僧の供述であって、記憶があいまいなところがありますので正確な数字は今も不明です。

 鼠小僧は大名屋敷ばかりをねらって、一人で盗みに入ったことから、反権力の大泥棒として祭り上げられ庶民は溜飲を下げたようですが、鼠小僧にはそんな意図はまったくありませんでした。

 大名屋敷を専門に狙った理由については、屋敷は広いわりに警備は少人数という警備が手薄であったこと、女性ばかりの奥で発見されても逃亡しやすい の2点からというのが本人の供述でした。
 つまり、江戸でもっとも大金を盗みやすいところだったということです。
 
 町人長屋には大金はありませんし、逆に商家は金はありますが警備は厳重です。
 それにひきかえ大名屋敷は財政的に苦しく、諸般の事情からも警備を厳重にできませんでした。
 また盗賊に入られて金を盗まれたととは、体面上、公にしにくいという事情も利用しました。

 当時の重罪には近親者などに連帯責任がとらされましたが、鼠小僧はすでに勘当されていたために肉親とは縁が切れており、妻や数人の妾にも捕えられる直前に離縁状を渡していたために、連帯責任(連座制)はおよばず、天涯孤独の身として刑を受けました。

 自分の犯罪に対して、あらゆる近親者を巻き込まないように手をうっていたというところは、鼠小僧が講談などで義賊として扱われていく一つ要因になっています。

 さて鼠小僧が義賊だったかどうかということですが、ほんとうのところはどうだったのでしょう。
 講談や芝居では義賊として扱われています。
 鼠小僧は「金に困った貧しい者に、汚職で金を増やした大名や悪徳の商家から盗んだ金銭を分け与え」ていたというものです。
 
 彼が捕えられたとき、役人による家宅捜索が行われましたが、盗まれた金銭はほとんど発見されませんでした。
 その上、彼の生活が質素で慎ましやかなものでもあったことから、盗んだ金の行方について噂になり、このような伝説が生まれたものと考えられています。

 しかし現実の鼠小僧の記録を見ると、このような義賊らしい事実はどこにも記されておりません。
 現在の研究家の間では「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」という説が定着しています。
 鼠小僧ファンには何とも気の抜けた結論になってしまいました。

 それでもなお、鼠小僧と同業の方や、受験生には人気があって、鼠小僧次郎吉の墓石が削り取られています。
 受験生には「するりと入れる」という御利益があるようです。

 墓は、両国の回向院にあります。また、義賊に恩義を受けた人々が建てたと伝えられる墓が各地にあります。
 ところによっては墓石はすっかり砕かれてしまっているということです。
 国定忠治の墓と同じ運命ですね。

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8月10日 健康ハートの日

 今日は「健康ハートの日」です。
 日本心臓財団と当時の厚生省が1985年に制定しました。「ハー(8)ト(10)」の語呂合せで8月10日に決まりました。

 夏の間に心と体のチェックをして、心臓病の多発する冬に備える日とされています。
 心臓病は悪い生活習慣を改めることで予防できることを知ってもらおうとキャンペーンを行っています。
 ちなみに、心臓病予防の3原則は「まず歩こう、煙草を吸うまい、太るまい」となっています。

 大事な心臓ですが、毎日、毎時間、毎分、毎秒、休み無く働くので、休ませる方法があるのかと調べてみましたら、心臓というのは、1日の半分は休んでいるということでした。
 心臓を動かしているのは心筋という筋肉ですが、この筋肉が収縮するたびに、心臓は強い力で血液を全身へと送り出していますが、1回収縮してもとの大きさに膨張して次に収縮するまでのごく短い時間は休んでいるのです。

 大人の心臓が収縮するのは1分間に平均70回です。この回数が脈拍です。1回収縮してもとのもどるのに0.8秒かかります。
 0.4秒収縮のために働き、残りの0.4秒はもとにもどって収縮を待って休んでいる時間ということになります。つまり半分の時間、1日12時間は休んでいることになるのです。

 ところで、脳と心臓は怖いですね。何が怖いかといって、ポックリ逝ってしまう可能性が高いことです。
 脳梗塞・くも膜下出血・心筋梗塞などナンとしても避けたいです。
 
 さて、私事ですが、2年前にタバコをやめました。
 体重はまだ多いですが胃癌の手術をしてから8~10キロほど減量できました。
 
 手術前はかなり肥満でしたので、メタボリックの治療を受けていましたが、「手術を受けたら食べられなくなって痩せるから、血液検査も正常になるから気にしないで。」と手術担当の医師からいわれていました。
 今のところその通り数値は正常になっています。
 減量の効果てきめんです。
 減量は、食べる量さえ減らせばかならず効果ありですね。
 
 「まず歩こう」ができていません。どうしても自転車やバス、エレベーターやエスカレーターに頼ってしまいます。
 運動ができていないのが一番の反省点です。

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