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8月31日 野菜の日

 本日は、8(や)3(さ)1(い)の日です。ずばり語呂合わせが成功しています。全国青果物商業協同組合連合会など9団体の関係組合が1983年に制定しました。

 野菜といってもいろいろあって話の進め方が難しいのですが、個人的にはどれも大好きです。
 スーパーで買い物を頼まれて出かけ、野菜売り場でメモを片手につぎつぎとかごに入れていきます。
 メモにないのにかならずかごに入れるのがサツマイモ(特に鳴門金時)です。

 サツマイモは、フタをしたフライパンで少量の水で蒸します。フタをしているのでおいしく蒸せます。NHKの「ためしてガッテン」流をまねしています。
 この蒸し方は他の野菜・食品にも利用できて重宝しています。

 ついでに、「ためしてガッテン」で学んだ野菜の話を一つ。
 血糖値を下げるには薬を服用、運動・食事療法が基本と言うことですが、「野菜を先に食べる」ことがものすごく効果が大きいということらしいのです。

 私の血糖値は高くはないのですが、今後のことを考えてご飯や肉よりもサラダ・野菜の煮物を先に食べるようにしました。
 体重が減り、こころなしかお腹がへこんだような気がします。

 みなさんもだまされたと思ってなさってみてははいかがでしょう。
 日本食の行儀としては悪いかもしれませんが、自分の健康のために。

 「野菜を先に食べる」ことは簡単で、意外に効果が大きいですよ。

8月30日 富士山測候所記念日

 今日は「富士山測候所記念日」です。
 1895年(明治28年)8月30日、大日本気象学会員の野中至が、私財を投じて建設していた富士山頂の測候所が完成しました。
 野中の測候所はのちの気象庁富士山測候所の前身となりました。

 富士山での気象観測は、日本最高峰で気象観測すれば台風の予報に役立つのではないかと、早い時期から検討されてきました。
 しかし建設工事は、富士山の厳しい自然環境のため、工事期間は夏季の短期間に限定され、これに加えて火口からの風を判断するのが難しく困難を極めました。
 
 さて、当時の富士山気象レーダーは世界最高の高度かつ世界最大で、世界に誇れるものでした。この富士山レーダードームは富士山頂のシンボルとして登山者にも親しまれていました。
 
 ところが、その後、気象衛星の発達により、山頂からのレーダー観測は必要性を失っていき、レーダー観測は1999年に廃止されました。
 測候所も2004年9月30日に無人化され、72年間の有人観測の歴史は終わりました。
 現在では、気温・湿度・気圧・地震の自動観測が続けられています。

 富士山の測候所だけでなく、日本各地の地方の測候所が経費削減・人員削減など合理化の名でつぎつぎ廃止されています。
 気象衛星による観測によって、測候所は必要がなくなったといわれていますが、狭い地方の生活・産業(農業・漁業)などに役立つ、精度の高い「地域予報」のためには、地方の小さな測候所が必要ではないかと思います。
 
 気象レーダー観測を廃止し、富士山測候所を無人化したことが、プラスだったのかマイナスだったのか専門家の声を聞きたいところです。

 なお、日本一の高山・富士山では、日本一の強い風が観測されています。1966年の台風26号が近くを通過したとき、測候所では91.0m/sを観測しました。

 なんと91.0m/sです。
 これは最大瞬間風速の日本記録になっています。

 気象庁職員として富士山レーダー建設の責任者として深くかかわった小説家・新田次郎は、自身の小説「富士山頂」で、こういった建設の経緯をくわしく描いています。

8月26日 オランダのレーウェンフックが死去

 1723年の今日は、オランダのアマチュア生物学者であった「レーウェンフック」が90歳で死去した日です。
 日本ではあまりなじみのない人物ですが、オランダではとても権威のある学者として有名です。
 彼は、はじめて顕微鏡を使って微生物を観察した人物で,、「微生物学の父」ともいわれています。  

 1632年、「レーウェンフック」はオランダのデルフト市の籠作り職人の子として生まれました。
 専門的な高等教育を受けることなく、16歳から6年間アムステルダムで織物商に奉公したあと、22歳になってデルフト市にもどって織物商を営んでいました。
 一時期、デルフト市の役人もしており、のちに測量士としても公認されています。

 彼は自分で作った単眼式の簡単な顕微鏡で、身の回りにあるものを覗いてまわりました。
 生涯に500もの顕微鏡を作ったといわれ、さまざまなものを見て感動する一方、当時は知られていなかった新発見が多数含まれていました。

 1674年、「レーウェンフック」の顕微鏡の倍率は約200倍に達していました。
 池の水を観察していた「レーウェンフック」は、これまでだれからも報告されたことのない奇妙な動く物体を発見しました。
 その奇妙な動く物体は、生物であるという証拠はありませんでしたが、彼は微小動物と名づけました。
 
 当時、微細な昆虫は植物の種子などから自然発生するものと考えられていましたが、「レーウェンフック」は観察により、これらの生物も親の産む卵から孵化することを発見しました。
 
 また、彼が発見した微生物についても、大きさを計算したり、微生物にも誕生や死があることを確認したりしています。
 また、赤血球が毛細血管を通ることをあきらかにしたり、バクテリアや精子も発見しています。 

 また、43歳のとき、同郷の画家・フェルメールが死んだとき、その遺産管財人となったことで知られています。
 フェルメールの作品の中で、「レーウェンフック」がモデルになっているのではないかといわれる絵画もあります。
 
 彼の功績を称えてオランダ科学アカデミーは10年ごとに微生物学の分野で優秀な発見をした科学者に対して、「レーウェンフック・メダル」を授与しています。
 歴代の受章者の中には、フランスのパスツールも含まれています。

 「レーウェンフック・メダル」は、この分野では最大の栄誉とされているそうです。

8月7日 十返舎一九が死去

 1831年の今日は、江戸時代後期の戯作者(いわゆる作家)である十返舎一九が66歳で没した日です。

 十返舎一九は、大阪で浄瑠璃の脚本を書いていましたが、なかなか芽が出ませんでした。そこで江戸にもどり、有名な出版元の蔦屋重三郎にやっかいになって、店で製本の手伝いをしていました。

 手伝いながら黄表紙(挿絵が入った通俗的な読み物)を書き始めました。
 1802年、滑稽本「浮世道中膝栗毛」の初版を出したところ、予想外の大ヒットでした。この後毎年、続編を出し続け、いちやく流行作家の仲間入りを果たしました。

 このユーモアあふれる作品は「東海道中膝栗毛」と改題され、21年間に渡って大ベストセラーとなりました。
 大衆文学を確立し、原稿料によって生活するスタイルを切り開いた人物といわれています。
 
 「東海道中膝栗毛」の主人公は、ご存じ弥次さん(弥次郎兵衛)と喜多さん(喜多八)です。
 二人が「伊勢詣で」を思い立ち、数々の失敗やこっけいをくり返しながら、東海道を江戸から京、大坂へ旅をするようすを、狂言や小咄をまじえながら、当時の人々の話し言葉で描き出したものです。
 おもしろさだけでなく、好色なところもあちこちにあったのも人気の一つです。これはあまり知られていません。
 続編では金比羅詣で・木曽の旅も出版されました。

 このような道中記を書くには、旅を体験していないと書けませんので、一九は取材の旅に出かけていました。
 一九の本がおもしろいから、取材の旅での一九との旅もおもしろいだろうと期待して同行した人は、黙々と歩いてメモを取り続けるだけだから、まったくおもしろくないといっています。
 十返舎一九のふだんの私生活も、たいへん生真面目で無口でした。

 辞世の句
 「この世をば どりや(どりゃ)おいとまと 線香の 煙とともに 灰左様なら」
 

8月4日 箸の日

 今日は、「箸の日」です。
 ある民俗学者が「箸を正しく使おう」という話をしたことがきっかけになって、1973年から「箸の感謝祭」がはじめられました。
 東京の日枝神社では、長さ1mほどの大箸を御神火で燃やし、供養が行われます。

 さて、箸のおこりは5000年前の中国です。
 煮えたぎった鍋から食べ物を取り出すのに二本の木の枝を使ったのが箸の始まりといわれています。
 中国では、厨房やと畜場で使う刃物を食卓では使わない習慣になったので、料理は、箸にとりやすい大きさに切りそろえられてから食卓に出されるようになりました。そのため箸が普及していったといわれています。

 中国文化が周辺地域に影響力をおよぼしていくと、周辺地域の民族は外交的に中国の漢民族から、野蛮人と見られたくないこともあって、さかんに箸が使われるようになっていったといういきさつがあります。

 日本でも、6世紀以前までは箸の文化はありませんでした。
 食事は手で食べていましたが、遣隋使が日本へ箸を持ち帰ったあと、聖徳太子によって広められたとされています。

 日本の箸は、先が細くなっている短い塗り箸が標準です。箸の先が細くなっているのは、骨付きの魚の骨と身をより分けやすくするためであるといわれています。なるほど先が細いと魚は食べやすいです。

 中国のものはやや長く、それほど細くはなっていなくて、円柱型や四角柱型が多いです。
 朝鮮半島では戦乱が多かったため、丈夫な箸が求められました。そのため短く、やや平たい金属製のものを使うことが多いです。
 歴史上では、暗殺を未然に防ぐために、支配階級は銀の箸を使いました。なぜ銀の箸かというと、銀は猛毒の硫黄や砒素に触れると反応して変色するからです。

 また、日本の割箸は弁当や食堂などで多く提供されていますが、安価な使い捨て用の割箸の材料になる東南アジアの熱帯林がどんどん伐採されていくのは辛いことです。
 
 ▼さて「箸」にはたくさんの格言があっておもしろいです。
  箸が転んでも可笑しい年頃(日常のささいなできごとや、たわいないことにもよく笑う)
  箸が進む(食欲旺盛でよく食べる)
  箸にも棒にも掛からないやつ(取り扱いようがなくてどうしようもないこまったやつ)
  箸の上げ下ろしにも小言をいう(ささいなことにもいちいち口やかましく小言をいう)
  箸を付ける(食べかける、食べようとする)
  箸を取る(食事する)

 最近では宇宙飛行士が宇宙で食事をとるときに、食べ物をしっかりとつかむことができるのでよく利用されていると聞きました。

7月27日 すいかの日

 今日は「スイカの日」です。
 スイカの縞模様を綱に見立て、27日の27を「つ(2)な(7)」(綱)とよむ語呂合せから、7月27日に決まりました。ちょっと無理矢理こじつけた感じがありますが・・・・・。

 さて、スイカは「野菜か、果物か」と孫に聞かれました。
 西瓜と書きますからウリ科の野菜ですね。
 
 ただし、栄養学上の分類では果物あるいは果実と分類されています。

 スイカの原産は熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯でした。日本には室町時代以降に伝わったのではないかといわれています。

 スイカは喉の渇きを癒すために食べることが多いですね。
 果肉に含まれるカリウムは疲労回復ならびに利尿作用があるため、夏バテに効果があるとされています。
 
 その他、むくみの解消や高血圧・動脈硬化・脳梗塞・心筋梗塞・がんの予防にも効果があるようです。
 何といっても昔からいわれてきた「水気(すいけ)おろし」が有名です。
 体がむくむ腎臓病にはスイカがいいといわれていました。
 
 私が、中学2年生の秋、急性腎炎を患って、学校を2が月休みました。
 スイカの季節が過ぎていたので、スイカの缶詰を食べさせられました。生のしゃりしゃり感がなかったので、不味かったのを覚えています。

 また赤肉すいかの色素にはβカロテンなどが含まれているので、がんや老化を予防する抗酸化作用が期待できるということです。
 血圧を下げる働きもあるので高血圧の予防にも効果が期待できます。
 また呼吸器系の免疫力を高める成分も含まれているといわれています。

 スイカはすごい健康野菜だったのですね。大好きですからしょっちゅう食べていて、良かったです。
 皮を炒めて食べる料理もテレビで紹介されていました。

 甘いか甘くないか、すいかの見分け方をテレビで報道していました。指で叩いてみるのは当たりはずれがあって一般人にはむつかいとのことです。
 甘いスイカは、つるが付いていたヘタが周りとくらべてへこんでいるのがおいしいともいわれていますがどうでしょうか。
 
 最近では、スーパーでカットしたものを買う機会が増えました。
 カットスイカの場合は、切り口から見える種まわりをよく見ることです。
 種と果肉の間にすきまがあるほうがよく熟していて甘いといわれています。

 運が悪いのか、安物を買っているからか、今年はまだ「甘い!」と叫ぶほどのスイカを口にしていません。
 スイカの旬はこれからです。
 甘い甘いスイカを食べたいです。

 大阪近郊では奈良盆地のスイカが有名ですが、北海道の デンスケスイカもすごく美味しいと評判です。(リンクは楽天市場)

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