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7月13日 日本標準時刻記念日

 今日は「日本標準時刻記念日」です。
 1889年1月1日から「東経135度の時刻を日本の標準時とする」ことが、1886年7月13日に定められたからです。

 1884年にアメリカのワシントンで国際子午線会議が開かれました。その会議では「イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線(経線)を世界中の子午線と時刻の基準」とすることが決められました。
 この基準の子午線は本初子午線と名付けられました。
 
 さて、地球は24時間かかって1周(360度動く)しますので、「360度÷24時間=15度」の式から、「経度15度で1時間の差」の計算になります。
 
 経度15度の倍数で日本列島を通るのは東経135度の子午線(経線)しかありませんので、これが「日本標準時子午線」に決定されたのです。

 1886年といえば、まだ明治19年ですから、地方毎の別々の時刻で十分間に合っていた時代です。
 標準時実施に先立っては官報に地方時と標準時の時差表を掲載しました。また新標準時は、西日本ではそれまでより早くなり、東日本では遅くなること、などを周知させていました。

 このようにして、明石の地方時の1889年1月1日午前0時0分に観象台から全国の電信局に時報が通報されました。
 この時から明石で今まで使っていた地方時が日本全国の標準時になりました。

 現在、東経135度の標準時子午線上に明石市立天文科学館があります。

7月12日 キリバスがイギリスから独立(1979)

 1979年7月12日は「キリバス共和国」がイギリスから独立した日です。

 キリバスは、南太平洋上に位置する海洋国家です。
 またキリバスは33の環礁(さんご礁)からなっています。それらの島は赤道付近に東西3800km²にも渡って散らばっています。東西の島の間は、日本の北海道から沖縄の与論島あたりまでの距離ほど離れています。
 
 果てしないほどの海・太平洋が広がっています。そのために世界第3位を誇る広大な排他的経済水域を有していることで知られています。

 キリバスの先住民は、約2000年前、西方からカヌーに乗ってやってきたミクロネシア系の人々です。
 1892年以来、イギリスの保護領、植民地、自治領となっていました。その間、第二次世界大戦中には日本軍に占領されたこともあります。
 1978年に一部は「ツバル」として独立しました。続いて1979年に「キリバス」が独立しました。

 キリバスでよく知られて入ることの第1は、戦後、ライン諸島のクリスマス島がイギリス・アメリカ両国の核実験場とされていたことです。

 2つめは、1995年1月1日に、それまでは180度の南北の経線(日付変更線)が国の中央を通っていたのを、東に大きく日付変更線をずらされたことです。
 その結果、世界で最も早く新しい日(年)を迎える国となり、中でもカロリン島(ミレニアム島に改名された)は太陽(朝日)が最も早く昇る島になりました。

 3つめはキリバスの不幸な将来です。
 キリバスの島は、珊瑚礁の砂と岩でできた小島で、海面の高さは2m~2m50cmです。低い土地が多いために、地球温暖化による海面上昇で、国土の半数以上は水没の危機にあります。
 大統領は、「温暖化対策の遅れで、もはやキリバスの水没は免れない」と明言し、全国民の他国への移住計画を発表したほど深刻です。
 
 国が水没するかもしれない(国が消滅する)とは何という不幸なことでしょう。 

7月5日 下山事件がおこる

 1949年の今日、日本国有鉄道の初代総裁・「下山定則」が出勤途中に失踪し、翌日未明に列車による轢死体となって発見されました。
 この事件を「下山事件」といいます。

 事件直後からマスメディアなどで、自殺説・他殺説の両方が流れる中、警察は捜査結果を公式に発表することなく捜査を打ち切りました。
 真相が不明のまま多くの憶測を呼ぶこととなって、「戦後史最大の謎」と呼ばれています。
 また、同事件から1ヵ月あまりの間に立て続けに発生した三鷹事件、松川事件と合わせて、国鉄の戦後三大ミステリーとも呼ばれています。

 そのころの時代背景を見てみますと、日本は敗戦した後の連合国軍による占領が続いていました。
 国際情勢の変化のなか、アメリカ軍を中心とした連合国占領軍は、対日政策をそれまでの民主化から反共の防波堤として位置付ける方向へ転換しました。
 
 まずは高インフレにあえぐ経済の立て直しを急ぎ、緊縮財政策を実施する一方、全公務員で約28万人、同日発足した日本国有鉄道(国鉄)に対しては約10万人近い空前絶後の人員整理を迫りました。
 頑強に反対する国鉄労組と連日にわたって交渉をしていたのが下山定則でした。
 
 1949年6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の初代総裁に就任したばかりの下山定則は、7月5日朝、午前8時20分ごろに大田区内の自宅を公用車で出ました。
 出勤途中、運転手に日本橋 の三越に行くよう指示しました。開店前だったため、一旦、東京駅前に戻って千代田銀行に立ち寄ってから再度三越に戻りました。
 そして午前9時37分ごろ、公用車から降りた下山は、「5分くらいだから待ってくれ」と運転手に告げ、急ぎ足で三越に入りそのまま消息を絶ちました。

 当日は緊張した状況の中で9時から重要な局長会議が予定されていました。その中で時間になっても総裁が出勤せず、なおかつ自宅に確認したところ「普段通り公用車で出た」との回答があったために国鉄庁内は大騒ぎとなり、警察に連絡。失踪事件として捜査が開始されました。

 結局、下山は翌7月8日午前0時30分過ぎに国鉄常磐線北千住駅綾瀬駅間で轢断された死体として発見されました。

 この事件のミステリーは、下山の轢死体を自殺説の根拠となる「生体轢断」と見るか、他殺説の根拠となる「死後轢断」と見るかで大きく分かれていました。鑑定も、新聞報道も真っ二つにわかれました。
 
 警視庁は他殺とも自殺とも結論を出せないまま、下山事件特別捜査本部は解散となりました。
 そして、他殺の線で捜査を続けていた警視庁捜査二課も、1950年には、捜査員が突然転任させられるなど大幅に規模を縮小せざるをえなくなり、捜査はうやむやな形で打ち切られました。
 
 松本清張は、この後に連続しておきた松川事件、三鷹事件と同様に「日本の黒い霧」の一つに数えました。
 2000年以後に出版された書籍では、矢板機関と亜細亜産業が深く関わる他殺説を主張しています。

7月4日 梨の日

 今日は「梨の日」です。鳥取県の二十世紀梨の一大産地・鳥取県東郷町が制定しました。「な(7)し(4)」の語呂合わせから、本日が記念日とされました。
 
 梨は数少ない国産の果物で、詳しいルーツはわかっていませんが、「日本書紀」には梨の栽培技術が書かれています。
 以前は、梨といえば二十世紀と言われましたが、最近は豊水や幸水などみずみずしい品種に人気があります。
 二十世紀の鳥取県が長いこと日本一の生産をしていましたが、現在は、豊水や幸水の生産が多い千葉県、茨城県が全国1位2位を占めています。

 真夏の冷やされた梨はとてもおいしいです。 
 梨は栄養学の面からはビタミンも少なく、価値はなさそうですが、利尿作用や体のほてりを冷ます効果があるので、これからの暑い夏に向けてちょうど良いでしょう。
 
 また、プロテアーゼというタンパク質を分解する酵素を持っているので、肉を食べた後のデザートに梨を食べるといいでしょう。焼肉のつけ込みだれに利用するレシピもあるようです。

 その他のミネラルとしては、カリウムが豊富です。血液中のナトリウムイオンの増加を防ぎ、高血圧などに良いようです。ソルビトールはのどの消炎に効果があるといわれています。アスパラギン酸はアミノ酸の一種で、疲労回復効果があります。

 私は夏バテ気味のときジューサーで「梨の生ジュース」をつくって飲みます。さっぱりした甘みで、疲れがとれますよ。

 そのまま食べるのも大好きです。
 「梨尻柿頭」といって、梨は下の尻の部分が甘く、柿は上の頭の部分が甘いという言葉が残っています。
 
 また、手紙を出しても返事のないことを「梨の礫(つぶて)」といいます。
 「梨」に「無し」をひっ掛けた言葉としてよく使われます。「無しの礫」は意味としては正しく通じるのですが、漢字の使い方はまちがっています。

7月3日 ソフトクリームの日

 今日は「ソフトクリームの日」です。

 1951(昭和26)年、明治神宮外苑で行われた進駐軍主催のアメリカ独立記念日を祝うカーニバルの模擬店で、コーンスタイルのソフトクリームが販売されました。
 アイスクリームをコーンスタイルで食べるという食べ方は、今では身近になりましたが、当時の日本人にとっては、珍しくて、かっこいい食べ方だったようですね。

 この日は、一般の日本人が始めてソフトクリームを食べた日なので、このできごとにちなんで、日本ソフトクリーム協議会が、1990(平成2)年に、7月3日を「ソフトクリームの日」と制定しました。

 昭和20年代は、普通のアイスキャンデーでさえ、夏しか食べられませんでした。
 名古屋に住んでいた幼いころ、わが家から5分ほど東へいくと「アイスキャンデー屋」がありました。製氷屋さんなのですが夏に氷菓子を売り出します。アイスキャンデーが売り出されるのを待ちに待った思い出があります。
 みぞれとかイチゴとかのかき氷もうどん屋さんに出前してもらったものです。
 (現在のように年がら年中、アイスクリームを食べられるなんて、思いもよらなかった時代でした)

 ソフトクリームは、主に、牛乳などを主原料柔らかいアイスクリームです。英語では「soft serve ice cream」といい、ソフトクリームは和製英語です。
紀元前2000年頃、中国で牛乳を煮て、雪で冷やし、柔らかくして食べられたのが始まりといわれています。

 牛乳が主原料ですから、酪農牧場の売店では必ずといっていいほど販売されていますし、観光地ではその土地の特産品を用いたソフトクリームが販売されています。
 私は、この特産ソフトクリームが大好きで、かならず買い求めます。
 
 特産ソフトクリームにはおもしろいものがあります。
 ウメ、イチゴ、ハスカップ(北海道)、夕張メロン、バナナ、ブドウ、巨峰、パイン、みかん、スモモなどフルーツはどれもおいしそうです。
 めずらしいものには、かぼちゃ、モロヘイヤなどの野菜があります。
 ハチミツ、ゴマ、黒ごま、黒砂糖、ハーブ、バラ、サクラなども聞いたことや食べたことがあります。

 好奇心で、一度食べてみたいのが、ワサビ、塩、醤油、八丁味噌、イカスミ、ウニ、サボテンのソフトクリームです。

7月2日 たわしの日

 今日は「たわしの日」です。
 1915(大正4)年、西尾商店(現在の亀の子束子西尾商店)の西尾正左衛門が、「亀の子束子」の特許を取得した日です。

 「亀の子束子」が考え出されたのは1907(明治40)年のことです。

 正左衛門の妻が、売れ残っていた棕櫚(しゅろ)製の玄関マットを切り取って丸め、床を磨くのに使っていたことがヒントとなったということです。

 正左衛門はさっそく女性の手で持てるぐらいの大きさのたわしをつくって特許を申請しました。
 
 まだ商品名が決まっていませんでしたが、たらいの中を泳ぐ亀に似てるし、亀は縁起がいいというところから「亀の子束子」と名付けられたそうです。
 「束子」という字は当時の漢学者にあてはめてもらった当て字でした。

 台所やお風呂、トイレにはどこの家庭にもあった「亀の子束子」ですが、現在ではあまり見なくなったと思っていました。

 調べてみると、年間600万個も製造され、30ヶ国へ輸出されているロングセラー商品になっていました。
 でも私の家は、風呂場に1つだけしかありませんでした。
 
 自然の素材(熱帯地方のココナッツやし)で、環境にもやさしいし、金属たわしと違って傷つけにくいし、たしかに長所はいっぱいありますね。 

6月22日 カニの日

 今日は「かにの日」です。
 大阪のかに料理店「かに道楽」が1999(平成11)年に制定しました。

 6月22日になった理由は、星占いの「かに座」の初日であることと、50音表で「か」が6番目、「に」が22番目であることです。

 さて、「かに」で思い出すのは、「かに料理」と「キチンキトサン」です。
 「かに料理」のおいしさは格別で、大阪では「かに道楽」が超有名です。ちなみに、ミナミの本店の足が動く、かにの看板は600万円もするそうです。

 さて、もう一つの「キチンキトサン」のチキンはかに・えびの甲殻類、貝・昆虫にも含まれている物質です。日本チキンキトサン学会 で調べてみてください。 

 私の経験です。(私の経験から猛烈に推薦したい健康食品です。)

 「チキンキトサン」を知ったきっかけは胃ガンが見つかったことです。初期癌から少し進んだレベルで、切るか切らないかの境目だったのです。私は、切りたくないから必死で健康食品を探して、ガンを無くそうと思いました。
 その結果、効果有りと判断したのがフコイダンとチキンキトサンでした。

 フコイダンも飲みました。フコイダンはもずくなどのぬるぬるの成分で、長期的に飲めば効果は一番あると思いますが、常用するには高価です。高価なものでないと効果がないと思います。(シャレのつもりではありません・・・笑)

 チキンキトサンは種類が多いですが、混ぜものがあって高価になってるものがかなりあります。私は、キトサンがほぼ100%で安価なものを選びました。
山本漢方のキトサン280粒

 胃ガンは、やはり進行しているので胃の4分の3をその年の9月に切除しましたが、キトサンはこの間も毎日欠かさず飲みました。
 
 まず、飲み始めると、血圧が下がり始めました。いまは120-80ぐらいです。
 
 つぎに、水虫の症状が改善しました。
 足の裏の皮がボロボロにむけていたのがきれいにつるつるになりました。踵のかさかさが無くなったので、冬のひび割れもほとんど無くなりました。
 一番の効果は、指の間の肉が見えるほどひっかいてしまう「かゆみ」が無くなりました。2~3ヶ月に1回ぐらいかゆみをかすかに感じることはありますが、ほっておけば翌日には治っています。
 私にとって40年来の水虫特効薬「華陀膏」はいっさい使わなくても良い状態です。
 
   また、両足の親指の爪が黒くて死んだような爪でしたが、1年後にはきれいなピンク色に変わりました。
 これはうれしかったです。
 水虫とは3~4歳ぐらいからのつきあいですが、ついにお別れの日がきました。

 キトサンには抗菌作用があるので水虫の白癬菌の働きを抑えているだけだと思います。飲み忘れたらもとにもどるかもしれません。

 最近、綿棒・マスク・靴下・クリームなどにキトサンが配合されています。

 キトサン関係の書物には、ガンにも効くという理論的な解説や経験談などが報告されていますが、私はそれを信じています。
 胃ガンの手術後の血液検査で腫瘍マーカーは正常ですし、手術後も激痩せしないで体重を維持しているのもキトサンの効果かなと信じています。

 私の経験だけでは説得力がありませんが、キトサンは食品ですから適量を守っていれば害はありません。
 一度、ためしてみられたらどうでしょう。
 特に、高血圧と水虫(いんきんたむし)の方・・・。

 「かに」の話が脱線してしまいました。

6月16日 和菓子の日

 毎年6月16日は、家族や親しい知人の健康を願って和菓子を贈ったり、和菓子を食べる「和菓子の日」です。
 1979年、日本和菓子協会が制定しました。

 そもそもこの日の由来は平安時代の中ごろまでさかのぼります。
 承和という時代には、国内に疫病が蔓延しました。ときの仁明天皇は年号を嘉祥と改め、その元年(848年)の6月16日に、16個の菓子や餅を神前に供えて、疾病よけと健康・招福を祈ったことが始まりとされています。

 毎年6月16日になると、厄除け・招福を願って菓子を食う「嘉祥菓子」の習慣ができました。
 以後、さまざまに形を変えながら、平安期から江戸時代終わりまでおこなわれました。

 とくに、多くの古書で、室町時代には年中行事として行われるようになったと記されています。
 江戸時代になると、大切な祭りのひとつに数えられました。庶民も嘉祥喰といって、菓子を求めて食べました。(嘉定通宝16枚で買えました)

 団子が貴重な和菓子であったころは、団子を作って供えることが年中行事になっていました。
 しかし、現在のように季節を問わずいつでも食べられる時代とはなっても、年に一日だけでも厄よけ・招福を願って和菓子を口にしたらどうでしょうか。

 私は、今年の「和菓子の日」は好物の桜餅・きんつばで、厄よけ・招福を祈ることにします。

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