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9月26日 伊勢湾台風が襲来

 1959(昭34)年の今日は、「伊勢湾台風」が襲来した日です。
 この年の台風15号は、伊勢湾周辺に未曾有の大被害をもたらしたため「伊勢湾台風」と名づけられました。

 この台風による被害は、明治以来最大で、死者・行方不明者は5、000人を超え、57万戸の家屋が被害を受けました。
 犠牲者の数は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災まで、戦後の自然災害では最多のものでした。

 そのころ私は名古屋市立豊国中学校の1年生でした。台風が来れば学校が休みになると、前日の夕方までは台風に期待する気持ちが強かったのを覚えています。

 父は、台風の進路が紀伊半島に向かっているので、「紀伊山脈は高い山だから台風は乗り越えられなくて横に逸れるから、名古屋は大丈夫だ」と、どこかで聞いてきた話を私に聞かせてくれました。
 当時の大人達の間では、このような楽観的な話がされていたのでしょう。

 ところが、朝方、わりと土地が高い中村区にあったわが家でさえ床下浸水が始まり、天井からは雨水が染みこんできました。
 尋常ではないことを感じつつも、あれほどの大被害をもたらすとはまったく予想できませんでした。
 翌朝、休校になったので、のんきにも自転車で遠くまで街のようすを見に行きました。ところが被害の大きさをこの目で見てびっくりしてしまいました。

 被害のようすについては私がここで記すより、下記ホームページをご覧ください。

  怖ろしかった伊勢湾台風 (すみません、勝手にリンクを張りました。)
 
 <参考書籍> 忘れない伊勢湾台風50年 (楽天ブックス) 

 近くの母子寮が全壊して住居を無くした友人がいました。私の学級の一人で、やがて転校していきました。
 みんなが泣いて別れました。
 私は、セルロイドの筆箱に脱脂綿を敷いて鉛筆を6本並べて贈ったことを覚えています。

 海抜0メートル地帯であった鍋島干拓地、弥富町、名古屋市南部のむごたらしいニュース写真を連日見て、台風の恐ろしさに身震いしたのを覚えています。

 伊勢湾台風は、3,000人以上の犠牲者を出した台風として、室戸台風、枕崎台風とあわせて昭和の三大台風と呼ばれています。
 災害対策について定めた災害対策基本法は、この伊勢湾台風を教訓として成立したものです。
 従来の災害対策を根本からくつがえした台風でした。

 なお、本日9月26日は、台風襲来の特異日(統計上、台風襲来の回数が多い日)でもあります。
 「洞爺丸台風」(1954)で青函連絡船・洞爺丸が転覆したのも、「狩野川台風」(1958)が伊豆・関東地方に来襲したのもこの日でした。

 今年は、この日に台風が襲来せず、被害が出なくて良かったですね。

(書籍のリンクは楽天市場)

9月24日 畳の日

 今日は「畳の日」です。全国畳産業振興会により制定されました。
 1年に2回あります。もう1回は4月29日です。

 4月29日は、いぐさの美しい緑色から旧「みどりの日」にちなんで決められ、9月24日は「清掃の日」にちなんで決められました。

 そもそも畳は、日本で発展してきた敷物で、その歴史は1万年以上も前の縄文時代の竪穴式住居にさかのぼるといわれています。
 そのころは土間に草を敷いて、その上に動物の皮などを敷いて寝ていました。

 弥生時代になると、草が薦(コモ)・筵(ムシロ)になり、飛鳥時代になると、板の床の上に敷く「たたみ」が誕生しました。
 
 奈良時代の文献では、古事記などに「畳」の字が現れています。
 このころの「畳」は、高貴な人の寝床や座る場所にしく、「畳んだり敷いたりするもの」という意味でした。
 皮でも絹でも、藁(ワラ)でも「たたみ」でした。
 つまり、使わない時は折り畳んでいたのです。「畳」とは「たたむ」ことを意味していたようですね。

 しだいに現在のような畳に進化していったのですが、畳が敷き詰められるようになるのは室町時代の書院造のころからです。
 一般の民家に畳が普及するのはずっと後のことです。
 
 部屋内に何枚の畳が敷き詰められているかで部屋の大きさ(床の面積)を表す単位として畳(じょう)が使われてきました。
 4畳半とか6畳とかがおなじみで一般的ですが。
 
 関西では、京間と呼ばれて、畳の寸法はもっとも大きいのですが、江戸間の寸法は少し小さ目になっています。
 このような畳のサイズが異なったのは、もともと一間(いっけん:畳の長辺の長さ)について課税された時代の影響だそうです。

 さらに中京間、団地サイズなどが加わり、4サイズが有名ですが、ほかにもさまざまなサイズがあるようです。
 関西の京間の家屋で育った人が、結婚して団地に引っ越した人が、一部屋の実質的な狭さに息が詰まりそうなストレスを感じたといいます。

 近所の畳屋さんが店を畳みました。しゃれのつもりではありません。畳の需要が減り、日本の伝統的な畳産業はピンチです。
 
 一方で、売り上げを伸ばしている畳店もあります。24時間営業に変更したら売り上げが伸びたそうです。
 深夜に畳を入れ替える料亭や飲食店からの注文が増えたからです。

 最近は畳に触れる機会がぐんと減りましたね。日本家屋でも内装は洋間というものが増えていますね。

 私の友人や娘のマンションは、畳の間がまったくありません。全室フローリングです。何かもの足らない淋しい感覚がします。
 友人の家では 健康いぐさ を敷いて、昼寝をしているそうです。

 一般の家庭で、畳が見直されて、もっと地位が向上するといいです.

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9月14日 コスモスの日

 今日は「 コスモスの日」と言われています。いつ、どこで制定されたかはよくわかりません。
 
 「コスモス」は、秋に桃色、白、赤、黄色などの花を咲かせる美しい花で、人々に好かれている花の一つです。
 花は本来、一重咲きですが、花が丸まったものや、八重咲きなどの品種が作り出されています。
 
 原産地はメキシコの高原地帯です。
 18世紀末にスペインのマドリードの植物園に送られ、コスモスと名づけられました。

 日本には明治20年ごろに渡来したと言われています。
 俳句では、秋の季語としても用いられています。

 コスモスの花畑が観光資源となっていたり、多くの市区町村がコスモスをシンボルとしています。

 たとえば、東京都の西東京市、奈良県の大和高田市、大阪府の貝塚市、香川県の坂出市、福岡県の久留米市、名古屋市北区、大阪市都島区など40数市区町村にのぼっています。

 埼玉県深谷市長野県の佐久高原など、各地でコスモス祭りがひらかれています。

  ちなみに、赤いコスモスの花言葉は「愛情」です。
 バレンタインデーから半年近くたった今日9月14日は、プレゼントにコスモスを添えて交換し、お互いの愛を確認しあう日といわれています。

 このためかどうか、「メンズバレンタインデー」として、男性から女性に下着を贈って愛を告白する日と言われています。
 あまり定着しているとは言えませんね。
 商魂だけで制定された記念日の一例です。

 また、反対に「セプテンバーバレンタイン」とも呼ばれ、 別れを切り出す日でもあるということです。
 
 バレンタインデーがらみの記念日は拡張の一途ですね。

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9月10日 映画「羅生門」がベネチア国際映画祭で金獅子賞

 1951年の今日、「ベネチア国際映画祭」で、黒澤明監督の映画 「羅生門」 が日本映画では初の金獅子賞を獲得しました。

  この受賞によって、ヨーロッパ・アメリカなど世界に黒澤明や日本映画が紹介されるきっかけとなりました。

 この映画は大きな影響を与えました。
 影響を与えたのは、一つの事実に対して、相反する複数の視点にもとづいて、まったく違うように回想し、はたして真実はどうだったのかと、観客を混乱させる手法です。
 この後、アメリカなど多くの国の映画や小説に影響を与えました。

 芥川龍之介は「今昔物語集」などの古典から多くの素材を得て自分なりの創作をおこなっています。
  「今昔物語集」 巻29・第23話には、「丹後へ旅する途中、若い盗人に弓も馬も何もかも奪われたうえに、藪の中で杉の木に縛られ、妻が手込めにされるようすをただ見ていただけの情けない男の話」があります。ただ、ここでは殺人事件はおきていなくて、この夫婦はそのあと丹後へ旅を続けています。

 芥川は、この情けない男を殺して、殺人事件に仕立て上げて小説「藪の中」を創作しました。(この作品が映画「羅生門」の原作になりました)
 
 小説は、藪の中でおこった殺人事件を7人の証言者が証言・告白するという形式でなりたっています。
   第1発見者の木樵
   妻を連れた男と道で遭った旅法師
   盗人を捕らえた放免
   媼(妻の母)
   捕らえられた盗人   
   清水寺で懺悔する男の妻
   巫女の口を借りて現れた男の死霊
   
 それぞれの証言はなるほどと思うほど説得力があります。しかし、武士の死因については、殺人または自殺というふうに見事にくいちがっています。
 
 結局、真相はどうなっているのか、犯人はいったい誰だったのかはまったくうやむやのままになっています。それぞれの供述調書を並べただけといえます。
 
 私の勝手な想像ですが、芥川は、関係者があまり多すぎても、つまり情報提供が多すぎてもかえって真実がわからないこともあるといいたかったのでしょうか。
 情報のねつ造や情報操作もあり、真実はどこにあるのか特定できないこともあるといいたかったのかもしれません。
 
 私たちは、関係者の言い分がくいちがったりして、真相がはっきりしない時に、「~は闇の中」とか「~は霧の中」とかいいますが、この小説の題名をそのまま使って「まるで藪の中」というふうにも使っています。
 なお、海外では、これを映画化した「羅生門」の題を借りて、「まるでラショーモンのよう」といいあらわすこともあるといいます。

 この作品は推理小説の一種としても高い評価を得ています。
 映画が完成した時に、当時の大映社長は「この映画はわけがわからん」と批判していたそうです。

 私が「羅生門」を最初に見たのはたしか20歳前後でした。人生の経験不足で、私も、その時はまったく訳がわかりませんでした。
 芥川の小説にある 「羅生門」とは関係がありません。

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9月6日 黒酢の日

 今日は、「黒酢の日」です。
 9月6日の「96」が「クロ」と読めることから、語呂合わせで決まりました。
 
 黒酢は、米酢の一種であり、主に玄米を主原料にしています。色は褐色または黒褐色をしています。小麦、大麦を含んでもかまいません。
 近年、リンゴ、きんかんを使った黒酢も登場しつつあります。

 黒酢にこだわらず、酢一般のことですが、酢は肉を柔らかくする効果があります。鶏肉などを茹でるときに酢を煮汁に加えると柔らかくなります。
 また、肉が骨から離れやすくなるため食べやすくなります。
 このような使い方をするときの酢は、黒酢ではもったいないですね。もう少し安物でいいでしょう。

 疲労回復のために、黒酢はすすんで飲まれています。
 上質な黒酢ほど舌触りがまろやかで、そのまま飲用するのにはいちばん適しています。
 
 黒酢にはクエン酸や豊富なアミノ酸が含まれています。これらが疲労の原因となる乳酸を分解します。そのため、血行の循環不良をおさえたり、疲労のもととなる乳酸をおさえる効果があります。
 さらに糖を加えて摂取すると効果があがるといわれています。運動によって消耗されたグリコーゲンが回復されるため、疲労の回復がさらに早くなるからだといわれています。

 ダイエットに効用があるとされて、健康食品の一つとしてさまざまな商品が開発されて発売されています。ブームになった時期がありましたし、今も人気があります。
 
 私は、以前、クエン酸健康法に取り組んでいた時期があります。薬局でクエン酸の粉末を購入して、小さなカプセルに入れ直して食後に飲んでいました。手間がかかるのでいつの間にか止めてしまいました。
 
 また、黒酢は高いので、玄米酢を水で割って飲んだことがあります。
 空腹の時に飲むと胃を荒らしてしまいますので、食事の一部として摂取するために食後に飲みました。
 
 水割り酢などクエン酸を摂取した後の尿の色はきれいな透明色になりますよ。気持ちいいぐらいたくさん出ます。
 疲れたときの濃い黄色とくらべると、科学的にはどうだかわかりませんが、きれいな尿を見ているとなんだか健康になったみたいな気がしていました。

 今は、食事で玄米図やポン酢を多用することに心がけ、紙パックの黒酢ドリンクを中心にクエン酸を摂取しています。

 なお、酢を飲むと身体が柔らかくなるというのは、まったくの誤解です。
 サーカスの団員が疲労回復のための飲料として購入することを、「あんなに大量の酢を飲むから、サーカス団員は身体が柔らかい」と噂されたということから信じられた誤解です。
 日本では古くから南蛮漬けなどにした魚の骨が酢の作用によって柔らかくなっていることからも誤解が生まれました。これはm唐揚げの効果だとおもいますが。
 
 体が柔らかくなるのは、訓練によって、靱帯を柔らかくし、関節が動く範囲を広げる意外にありえません。
 ただ酢を飲めばいいというものではありません。
 私は、恥ずかしいことですが、高校生のころまでは信じていました。

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