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8月25日 川柳発祥の日

 今日は、1757年8月25日に柄井川柳が川柳評万句合を開始したことによる「川柳発祥の日」です。
 柄井川柳(からいせんりゅう)は、江戸時代中期の人物です。
 
 当時、江戸庶民に人気のあった文芸に前句付というものがありました。
 前句付というのは、出題された七七の前句に対して、五七五の付け句をすることです。柄井川柳はこの句会を主催し、優れた付け句を募集して世間に発表するすぐれた点者(判定者)でした。

 俳諧(俳句)には季語や切れ字の制約がありますが、柄井川柳の付け句には、季語や切れ字などの制約はありませんでした。
 また、ふだんの口語を使って、人生の機微や世相・風俗をこっけいに、また風刺的に描写する特色を持っていました。
 付け句の一句そのもののおもしろさに重点がおかれました。

 柄井川柳が新しい趣向を好み、選句眼にもすぐれていたことが、上級武士もふくめて好まれました。1765年7月、刊行された「誹風柳多留」は、前句付の流行に拍車をかけました。
 そののち、前付句の五七五が独立し、初代柄井川柳の力で隆盛をきわめました。しかし、まだ「川柳」という名はなくて、当時は雑俳と呼ばれていました。
 雑俳? 何だか、そんなの俳諧(俳句)じゃないよと冷たく扱われていた感じがします。どんなものでも始めはこんなもんですね。
 
 「川柳」と言われるようになったのは明治になってからで、柄井川柳の名前にちなんだものです。
 人名が文芸のジャンルになっているのは「川柳」だけです。
 
 なお、私の理解がまちがっていました。川柳とは、俳諧(俳句)からいきなり季語や切れ字をなくしたものだと思っていましたが、前句付の文芸から派生したものでした。

 江戸時代の狂歌とならんで「川柳(当時は雑俳)」はおもしろいものあります。
  役人の子はにぎにぎをよくおぼえ(賄賂への皮肉)
  いくらいりますかと質屋はずらり抜き(武士が質屋に持って行った刀は本物かな?)
  一年を二十日で暮らすいい男(職人・花魁・若旦那の暮らしっぷり)
 江戸時代の「川柳」には、当時の人々の庶民の生活の生きざまが、生き生きと描かれています。

 現代の「川柳」は、新聞でも募集されていますが、あいかわらず高い人気を誇っています。
 おもしろい名作を見つけました。
 名作川柳

 私も一句、と思いましたが出来ませんでした。また後日発表します。 

8月19日 鼠小僧次郎吉が刑死

 鼠小僧次郎吉は、1932(天保3)年の今日、処刑されて人生の幕を閉じました。

 鼠小僧は、江戸時代に大名屋敷を特にねらって荒らしたまわった盗賊です。
 中村座の木戸番の長男で、建具職人となりましたが、バクチに身をくずしてやがて無宿人に落ちぶれました。

 小さな体と身軽な運動神経を生かして、大名・武家屋敷を専門に忍び入り、人を傷つけることなく現金だけ盗み去りました。
 1825年、一度は捕まりましたが、初めて盗みに入ったと嘘をついて切り抜け、入れ墨を入れられて中追放の刑を受けました。
 江戸を去り、上方へ行きましたが、密かに江戸に舞い戻り、遊ぶ金欲しさにまた盗みをはじめました。

 二度目は1832年、日本橋浜町の松平宮内少輔邸に忍び込んだところを捕えられました。
 北町奉行所で取り調べを受けたのち、裸馬に乗せられて江戸市中を引き廻しののち、鈴ヶ森の刑場で処刑され、さらし首(獄門)になりました。

 忍び込んだ大名屋敷は、1回目の捕縛までが28カ所32回、江戸に舞い戻ってからが71カ所90回におよびます。盗んだ金の総額は3000両以上といわれています。
 しかし、この数字は鼠小僧の供述であって、記憶があいまいなところがありますので正確な数字は今も不明です。

 鼠小僧は大名屋敷ばかりをねらって、一人で盗みに入ったことから、反権力の大泥棒として祭り上げられ庶民は溜飲を下げたようですが、鼠小僧にはそんな意図はまったくありませんでした。

 大名屋敷を専門に狙った理由については、屋敷は広いわりに警備は少人数という警備が手薄であったこと、女性ばかりの奥で発見されても逃亡しやすい の2点からというのが本人の供述でした。
 つまり、江戸でもっとも大金を盗みやすいところだったということです。
 
 町人長屋には大金はありませんし、逆に商家は金はありますが警備は厳重です。
 それにひきかえ大名屋敷は財政的に苦しく、諸般の事情からも警備を厳重にできませんでした。
 また盗賊に入られて金を盗まれたととは、体面上、公にしにくいという事情も利用しました。

 当時の重罪には近親者などに連帯責任がとらされましたが、鼠小僧はすでに勘当されていたために肉親とは縁が切れており、妻や数人の妾にも捕えられる直前に離縁状を渡していたために、連帯責任(連座制)はおよばず、天涯孤独の身として刑を受けました。

 自分の犯罪に対して、あらゆる近親者を巻き込まないように手をうっていたというところは、鼠小僧が講談などで義賊として扱われていく一つ要因になっています。

 さて鼠小僧が義賊だったかどうかということですが、ほんとうのところはどうだったのでしょう。
 講談や芝居では義賊として扱われています。
 鼠小僧は「金に困った貧しい者に、汚職で金を増やした大名や悪徳の商家から盗んだ金銭を分け与え」ていたというものです。
 
 彼が捕えられたとき、役人による家宅捜索が行われましたが、盗まれた金銭はほとんど発見されませんでした。
 その上、彼の生活が質素で慎ましやかなものでもあったことから、盗んだ金の行方について噂になり、このような伝説が生まれたものと考えられています。

 しかし現実の鼠小僧の記録を見ると、このような義賊らしい事実はどこにも記されておりません。
 現在の研究家の間では「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」という説が定着しています。
 鼠小僧ファンには何とも気の抜けた結論になってしまいました。

 それでもなお、鼠小僧と同業の方や、受験生には人気があって、鼠小僧次郎吉の墓石が削り取られています。
 受験生には「するりと入れる」という御利益があるようです。

 墓は、両国の回向院にあります。また、義賊に恩義を受けた人々が建てたと伝えられる墓が各地にあります。
 ところによっては墓石はすっかり砕かれてしまっているということです。
 国定忠治の墓と同じ運命ですね。

8月10日 健康ハートの日

 今日は「健康ハートの日」です。
 日本心臓財団と当時の厚生省が1985年に制定しました。「ハー(8)ト(10)」の語呂合せで8月10日に決まりました。

 夏の間に心と体のチェックをして、心臓病の多発する冬に備える日とされています。
 心臓病は悪い生活習慣を改めることで予防できることを知ってもらおうとキャンペーンを行っています。
 ちなみに、心臓病予防の3原則は「まず歩こう、煙草を吸うまい、太るまい」となっています。

 大事な心臓ですが、毎日、毎時間、毎分、毎秒、休み無く働くので、休ませる方法があるのかと調べてみましたら、心臓というのは、1日の半分は休んでいるということでした。
 心臓を動かしているのは心筋という筋肉ですが、この筋肉が収縮するたびに、心臓は強い力で血液を全身へと送り出していますが、1回収縮してもとの大きさに膨張して次に収縮するまでのごく短い時間は休んでいるのです。

 大人の心臓が収縮するのは1分間に平均70回です。この回数が脈拍です。1回収縮してもとのもどるのに0.8秒かかります。
 0.4秒収縮のために働き、残りの0.4秒はもとにもどって収縮を待って休んでいる時間ということになります。つまり半分の時間、1日12時間は休んでいることになるのです。

 ところで、脳と心臓は怖いですね。何が怖いかといって、ポックリ逝ってしまう可能性が高いことです。
 脳梗塞・くも膜下出血・心筋梗塞などナンとしても避けたいです。
 
 さて、私事ですが、2年前にタバコをやめました。
 体重はまだ多いですが胃癌の手術をしてから8~10キロほど減量できました。
 
 手術前はかなり肥満でしたので、メタボリックの治療を受けていましたが、「手術を受けたら食べられなくなって痩せるから、血液検査も正常になるから気にしないで。」と手術担当の医師からいわれていました。
 今のところその通り数値は正常になっています。
 減量の効果てきめんです。
 減量は、食べる量さえ減らせばかならず効果ありですね。
 
 「まず歩こう」ができていません。どうしても自転車やバス、エレベーターやエスカレーターに頼ってしまいます。
 運動ができていないのが一番の反省点です。

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