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5月30日 ジャンヌ・ダルクが処刑された日

 今日5月30日は、あの有名なオルレアンの少女「ジャンヌ・ダルク」が火あぶりの刑に処せられた日です。

 ジャンヌは、13歳のとき、 聖ミカエルだと名のる声に「ジャンヌよ、お前は祖国を救うため神によって選ばれた」 と告げられました。
 
 当時、フランスはイギリスとの百年戦争で苦戦していました。領主はイギリスに忠誠を誓う者の数のほうが圧倒的に多い状態でした。
 長く続いた戦争のために国内はすっかり荒れ果て、盗賊が横行し、略奪を繰り返す無法地帯でした。

 ジャンヌは、聖ミカエルと名のる声にしたがい、陥落寸前のオルレアンの町を救出するために立ち上がりました。
 シャルル王子から与えられた援軍とともにオルレアンを解放するためにたたかいました。 
 ジャンヌを神の使いと信じているフランス兵の勢いは、日がたつにつれて盛んになり果敢に突撃していきました。
 ジャンヌはいつも先頭で兵隊の士気を鼓舞していました。

 やがて敗走したイギリス軍が残していったものは、おびただしい死体だけでした。
 崩壊寸前だったオルレアンの町は、わずか10日で解放されたのでした。「オルレアンの少女」といわれる所以です。

 ジャンヌは、シャルル王子を国王の地位につけることができれば、フランス全土の領主は結束するだろう、そうなれば反対にイギリスの勢力が弱体化していくだろうと考えました。

 ところがフランス国王になったシャルル7世の側近は、イギリスとは金で解決しようと考えはじめており、ジャンヌのようにイギリスとの戦争をつづけるのに反対しました。ジャンヌはしだいに孤立していきました。
 
 国王の側近にとっては、ジャンヌは邪魔者になりかけてきていたのです。(国王も同じ考えだったらしい)

 実際、国王の側近の裏切りによって退路を断たれ、ジャンヌは捕らえられてしまいました。ジャンヌは、いろいろな城を引き回され、牢獄に閉じこめられる身となりました。
 そして、ついにイギリス派の領主によってイギリス軍に売り飛ばされてしまいました。
 
 イギリス軍の手によって宗教裁判にかけられました。結果は、魔女の汚名がかぶせられ、即日、火刑に処せられることになりました。

 1431年5月30日、広場の中央のジャンヌのまわりに薪がうずたかく積み上げられました。火がつけられましたが、神の使いだったはずのジャンヌに、今度は何の奇跡すらおきませんでした。
 ジャンヌの灰は残酷にも川に流されました。

 魔女として処刑されたジャンヌでしたが、その後、幾度かの裁判のやり直しがありました。
 1449年、シャルル7世がイギリス軍を打ち破って、ルーアンに入城すると、命令を出してジャンヌの裁判の調査をおこないました。
 
 調査の結果、ローマ教皇は裁判のやり直しを命じ、ジャンヌの母の訴えによってジャンヌの復権裁判が行われました。多くの証人が呼ばれる中で、ジャンヌが火刑にされた地であるルーアンにて処刑裁判の破棄が宣告されています。

 1920年には聖女として聖者の一人に加えられることになりました。しかし、彼女の死から500年もたっていました。

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