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6月6日 楽器の日

 今日は「楽器の日」です。
 全国楽器協会(楽器メーカー、楽器卸商、楽器小売店による業界団体)によって、1970(昭和45)年に制定されました。

 古くから言われている言葉に「芸事の稽古は、6歳の6月6日から始める」というならわしに由来しています。

 なぜ子どもの稽古はじめが「6」づくしなのか、一説によれば数を指で数えると、5までは指を曲げれるけれども、6になると逆に小指から指を立てます。そこから「子が立つのは6」と縁起をかつぎ、6歳の6月6日となった、とも言われています。
 こじつけみたいな縁起かつぎですがおもしろいですね、

 最近は、退職されてからセカンドライフとして、琴や三味線、クラリネット・・・・の楽器を習う方が増えているそうです。何であっても習う楽しみは、子どもだけのものではありませんね。
 年寄りも6づくしの日から始めたら上達するかもしれませんね。60歳になった6月6日とか、60歳を過ぎていれば66歳まで待って始めるとか・・。

 「習うのに老いすぎているということはない」ということわざもあるように、肩ひじを張らず気軽に楽器を楽しむのもいいですね。
 6月6日はきっかけになるかもしれませんね。

 「楽器の日」といえば日本の楽器メーカーのこぼれ話に移ります。
 ヤマハとカワイというのが楽器メーカーの双璧ですが、元々は一緒にスタートした企業だということです。
 明治時代に外国からオルガンが入ったオルガンが故障したとき、時計職人の山葉寅楠と河合小市がその修理を請け負って直したのがきっかけです。

 二人はこの経験をのとに明治21年に「山葉風琴製造所」を設立しました。これが現在の「ヤマハ」の前身です。
 最初は二人で一緒にやっていたのですが昭和2年になって、河合小市がここから独立、「河合楽器製造株式会社」を設立しました。これが「カワイ」です。

 「ヤマハ」は山葉寅楠から命名され、「カワイ」はそこから分かれました。これらの企業がおこった浜松市は「楽器の町」になりました。

5月30日 ジャンヌ・ダルクが処刑された日

 今日5月30日は、あの有名なオルレアンの少女「ジャンヌ・ダルク」が火あぶりの刑に処せられた日です。

 ジャンヌは、13歳のとき、 聖ミカエルだと名のる声に「ジャンヌよ、お前は祖国を救うため神によって選ばれた」 と告げられました。
 
 当時、フランスはイギリスとの百年戦争で苦戦していました。領主はイギリスに忠誠を誓う者の数のほうが圧倒的に多い状態でした。
 長く続いた戦争のために国内はすっかり荒れ果て、盗賊が横行し、略奪を繰り返す無法地帯でした。

 ジャンヌは、聖ミカエルと名のる声にしたがい、陥落寸前のオルレアンの町を救出するために立ち上がりました。
 シャルル王子から与えられた援軍とともにオルレアンを解放するためにたたかいました。 
 ジャンヌを神の使いと信じているフランス兵の勢いは、日がたつにつれて盛んになり果敢に突撃していきました。
 ジャンヌはいつも先頭で兵隊の士気を鼓舞していました。

 やがて敗走したイギリス軍が残していったものは、おびただしい死体だけでした。
 崩壊寸前だったオルレアンの町は、わずか10日で解放されたのでした。「オルレアンの少女」といわれる所以です。

 ジャンヌは、シャルル王子を国王の地位につけることができれば、フランス全土の領主は結束するだろう、そうなれば反対にイギリスの勢力が弱体化していくだろうと考えました。

 ところがフランス国王になったシャルル7世の側近は、イギリスとは金で解決しようと考えはじめており、ジャンヌのようにイギリスとの戦争をつづけるのに反対しました。ジャンヌはしだいに孤立していきました。
 
 国王の側近にとっては、ジャンヌは邪魔者になりかけてきていたのです。(国王も同じ考えだったらしい)

 実際、国王の側近の裏切りによって退路を断たれ、ジャンヌは捕らえられてしまいました。ジャンヌは、いろいろな城を引き回され、牢獄に閉じこめられる身となりました。
 そして、ついにイギリス派の領主によってイギリス軍に売り飛ばされてしまいました。
 
 イギリス軍の手によって宗教裁判にかけられました。結果は、魔女の汚名がかぶせられ、即日、火刑に処せられることになりました。

 1431年5月30日、広場の中央のジャンヌのまわりに薪がうずたかく積み上げられました。火がつけられましたが、神の使いだったはずのジャンヌに、今度は何の奇跡すらおきませんでした。
 ジャンヌの灰は残酷にも川に流されました。

 魔女として処刑されたジャンヌでしたが、その後、幾度かの裁判のやり直しがありました。
 1449年、シャルル7世がイギリス軍を打ち破って、ルーアンに入城すると、命令を出してジャンヌの裁判の調査をおこないました。
 
 調査の結果、ローマ教皇は裁判のやり直しを命じ、ジャンヌの母の訴えによってジャンヌの復権裁判が行われました。多くの証人が呼ばれる中で、ジャンヌが火刑にされた地であるルーアンにて処刑裁判の破棄が宣告されています。

 1920年には聖女として聖者の一人に加えられることになりました。しかし、彼女の死から500年もたっていました。

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