5月2日 コンゴ自由国ができた
1885年の今日、現在のアフリカ大陸のコンゴ民主共和国があるザイール川の流域に、「コンゴ自由国」なるものが作られました。
「自由国」!
なんといい響きの国名でしょうか。
1885年といえば、ヨーロッパの資本主義の強国が、帝国主義になりつつある時期で、アフリカはイギリス・フランス・ドイツなどに分割された時期です。
以前、このブログでリビングストンのことを書きましたが、アフリカの奥地のリビングストンを捜し求めたのはスタンリーでした。
スタンリーは成功報酬が目当てで探検したのですが、ベルギー国王レオポルド2世はこのスタンリーにザイール川流域の探検を財政的に支援していたので、その成果はベルギー国王のものとなりました。
つまりベルギー国王レオポルド2世はコンゴという土地を手に入れ、1885年のベルリン会議では正式に国王の私有地として各国に認められました。
この私有地が「コンゴ自由国」です。
国王の私有地ですから、「コンゴ自由国」では黒人など原住民の耕作地はすべてが国王の所有物となりました。
住民は象牙やゴムの採集を強制され、規定の量に到達できないと手足を切断されるという残虐な刑罰が情け容赦なく科されました。
前代未聞の圧制と搾取が行われていた「コンゴ自由国」の「自由国」とは、「住民が自由な国」という意味ではまったくありません。
原語では「コンゴ独立国」というのが正しい訳ですが、国王のための自由貿易の国という意味であるということをあてこすった英語の俗称です。
まさに、国王が「自由」に統治できる国という意味ですね。
この「コンゴ自由国」の圧政に対して、各国は人道主義の立場から非難の声をあげました。
非難をあげるイギリスやフランスもそうとうひどいことをやっていますが、それ以上にひどいということでしょう。
ジャーナリストのエドモンド・モレルが『赤いゴム』という著作で、手足を切り落とす過酷な刑罰の下でのゴム採集の実情を白日のもとにさらけ出しました。
こうして国際社会の非難の声はますます高まり、国王の恣意的な暴政にベルギー政府も黙っていられなくなりました。
1908年10月、ベルギー政府は植民地憲章を制定し、国王はベルギー政府からの補償金との引き換えに「コンゴ自由国」を手放すことになりました。
同年11月、「コンゴ自由国」はベルギー政府の直轄植民地「ベルギー領コンゴ」になりました。
これによって、統治の実情は改善され、強制労働などは廃止されましたが、植民地支配は第2次世界大戦後までつづきました。
(ウキペディア参照 )
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