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4月14日 タイタニック号が氷山に衝突・沈没。死者1513人。

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 今から約100年前の今日、豪華客船タイタニック号が北アメリカ大陸のニューファントランド島沖で氷山に衝突して、翌日未明に沈没しました。

 

 タイタニック号は当時の最新鋭の技術を駆使した豪華大型客船でした。「不沈船」として、また大きさと豪華さで、大西洋航路の女王を目ざしていました
 世界中が注目する中で、1912年、2224人の乗客・乗員を乗せて処女航海に出発しました。

 海難事故としてはかつてない人命が失われた大事故が発生してしまいましたが、ひょっとしたら事故は防げたのではなかったかといわれています。

 まず、出航の期日の問題です。
 タイタニック号は予定より約1ヶ月遅れて航海に、多数の著名人を乗せて出航しました。1ヶ月前の3月中旬に出航していれば、北極海からの流氷の量は少なく、氷山との衝突事故の発生確率は少なかったことでしょう。

 次に、出航日においても予定より出航時刻が1時間遅れました。
 もし衝突事故の発生が1時間早まっていたならば、衝突後の救難無線を発した時刻が夜中の12時前になり、周辺に存在していた船舶がすみやかな救助に駆けつけることができたといわれています。

 さらに出航後、流氷原が行く手の海域にあるという警告を他船から無線で受信していました。
 しかし、船長はそれほど深刻には受け止めていませんでした。
 さらに航海中にも流氷原があるという警告を受けましたが、速力を減速することなく、高速(20.5ノット)で航行を続けました。
 警告・忠告を無視したということです。

 やがて午後11時40分に氷山に衝突したわけですが、氷山を発見したのは衝突の約450m手前でした。
 この夜は新月に近い暗闇であったことと、珍しいほどの無風で海面が鏡のようになっていたので、氷山の周囲に白波がまったく立っていなかったことも発見が遅れた要因でした。

 さらに、見張り員が双眼鏡を使用しないで見張り台に立っていたことも発見がおくれた原因です。
 しかし、この夜の条件では双眼鏡があったとしても、より早期の氷山の発見は無理であったとの意見もあります。
 
 氷山の発見後、回避行動をとりましたが、船腹をなでるように氷山をかすめて通ったため、かえって船体の多くの部分が損傷してしまいました。
 これによって大量の浸水をもたらしました。

 この沈没事故から学ぶべき教訓は、救助の問題です。
 タイタニック号は、氷山との衝突の後、すみやかには救難無線を出していません。午前0時14分になって初めて救難無線を発しています。

 しかし、タイタニック号から19海里の距離にいたカリフォルニア号の無線は午前0時を過ぎた時点で切られていました。
 58海里の距離にいたカルパチア号が救難無線を受信し救助に駆けつけましたが間に合いませんでした。
 到着したのは午前4時10分ごろでした

 タイタニック号は、午前0時44分には信号灯を打ち上げました。
 カリフォルニア号の乗組員はこの信号灯を視認したといわれていますが、信号灯の意味するところが理解できず救助には向かいませんでした。

 こうして、一切の救助は間に合わず、午前2時20分ごろ、ついにタイタニック号は沈没してしまいました。
 
 またこの事故のとき、国際的に決められた救難信号「SOS」が最初に発信されています。
 この惨事の結果、翌1913年に、海上の人命安全に関する国際会議がロンドンで開かれ、現在の船のように安全施設を充実させる発端となりました。

 しかし、残念なことに海難事故は繰り返されています。

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