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2月18日 上杉謙信が生まれた

 今日は、越後(現在の新潟県)の戦国大名・上杉謙信が生まれた日です。
 謙信は、越後の守護代(守護の職務の代行者)の長尾為景の子として春日山城で生まれました。

 生まれつきというべきか、幼少のころから大胆な性格で、父のいうことを聞かなかったといわれています。
 そのため7歳のとき、城下の林泉寺にあずけられ、学問を習わされました。

 父・長尾為景が戦死したあと、長尾家を継いだのは兄の晴景でしたが、晴景は家臣からの人望がなく、信用がありませんでした。
 一方、家臣の中には謙信を押し立てる者たちがおり、そのため兄弟仲は悪くなっていきました。

 19歳のとき、弟・謙信が兄・晴景の養子になることによって、兄にかわって長尾家を継ぎました。
 こうして兄と仲直りした謙信は、春日山城に入って、越後を統一して、実力を高めていったのでした。
 このころの謙信は、まだ長尾姓で、名は景虎でした。

 謙信が32歳のとき、それまで関東地方を支配していた上杉憲政が、小田原の北条氏に追い立てられ、謙信を頼って鎌倉から逃れてきました。
 関東管領であった上杉氏は、由緒ある家系でした。
 
 長尾景虎は、上杉氏から家督を譲られて、上杉景虎と名のるようになりました。
 その後、名を政虎、輝虎と変え、41歳のとき謙信とあらためました。

 当時の関東・信越は、武田・上杉・北条の3つの勢力が合戦をくり広げていました。
 とくに武田信玄とは、はげしい戦いをくり広げましたが、有名なのは5度にわたった川中島の戦いです。
 1561年の川中島の戦いはもっとも激しい戦いとして有名です。
 謙信は、一人で信玄の本陣に切り込み、信玄に傷を負わせたといわれています。
 
 謙信は、戦さを指揮する能力をもった天才であり、一人の勇敢な兵士でもありましたが、和歌や詩にもすぐれていた文化人でもありました。
 また、戦いの神である毘沙門天を深く信仰しており、戦いに出かけるときには、白地に「毘」という字を書いた軍旗をかかげ、勝利を祈りました。

 さらに、京都にのぼって将軍を押し立て、全国に号令をする野望をもっていました。
 そのため、越中(現在の富山県)、加賀・能登(現在の石川県)を攻め、そのころ勢いをつけてきた織田信長の軍を追い返したりして、京都進出をねらっていました。
 
 しかし、1578年、病にかかって春日山城で急死しました。49歳でした。
 辞世の句は、「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」です。

 死因については、一説には、過度の飲酒と高血圧が原因の脳溢血といわれています。なぜ、このような説が有力かというと、謙信は、大酒飲みで、梅干しだけを肴に手酌で飲んでいたといわれているからです。
 41歳のとき、雪がふる中、厠で倒れたという史料が存在しています。このことも、死因が脳溢血だと考えられている一因です。

 お酒が大好きな方は、用心が大事ですね。

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