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1月21日 勝海舟の命日

 今日は、幕末の政治家・勝海舟の命日です。
 勝海舟は貧しい旗本の長男として江戸に生まれ、若いころ島田虎之助について剣術をおさめました。
 また島田のすすめで蘭学を学び、私塾を開いて、蘭学や西洋兵学を教えてました。

 ペリーの来航後、長崎の海軍伝習所で海軍についての技術を研究しました。
 やがて咸臨丸の艦長として、日本人としてはじめて太平洋を横断するという快挙をはたしたことでよく知られています。

 幕府からは軍艦奉行並に取り立てられて、やがて神戸に海軍操練所をつくる許可をえました。
 その間、坂本竜馬の入門を得るなど、見識が重く用いられていきました。

 勝海舟の名を高めたのは、NHKの大河ドラマでもとりあげられた「江戸城無血開城」を実現させたことでしょう。
 無血開城で150万人の江戸市民の命と財産を守ったことは高く評価されています。

 明治になってからの勝海舟はあまり知られていません。
 旧幕臣の代表格として新政府の役職を歴任して、枢密顧問官もつとめ、伯爵を叙されています。
 新政府の役職には興味がなかったようで、椅子に座って黙っているだけの日々を送っていたということです。
 本人自身、「部下に仕事を丸投げして、判子を押すだけのような仕事しかしてないよ」と語っているからほんとうなんでしょう。
  
 幕末の混乱期には何度も意見が対立していた徳川慶喜の地位が安泰であるように、人生を捧げて力をつくしました。
 特筆すべきは、失業して食えなくなった旧幕臣が仕事につけるように、世話しつづけたことです。
 資金援助や生活保護などの援助も行いました。

 横浜は、今でこそ大都会ですが、幕末には貧しい寒村でした。
 この横浜に旧幕臣を約10万人も送り込んで仕事を与え、横浜港の発展につくしました。
 静岡は、現在、茶の生産高日本一ですが、このとき勝が静岡に約8万人もの旧幕臣を送り込んだことが大きく発展した原因の一つといわれています。
 
 仕事を与え、失業をなくそうとしたしたこうした努力が、職業の転換をスムーズに実現し、生活を安定させました。
 徳川幕府の旧家臣がこれといった反乱をおこさなかったのは、こうした勝の功績であるといわれています。
 「仕事を与える」、これはすごく大事なことですね。生活の根本です。
 まさに、現代の課題でもありますね。

 一方、勝は日本海軍の生みの親ともいうべき人物でした。
 しかし、その海軍がおこなった日本初の帝国主義戦争でもある日清戦争には始終反対し続けました。
 
 勝は、戦勝気運に盛りあがる人々に、安直な欧米の植民地政策に追従する愚かさを説いています。
 さらに、中国という国を卑しく見下げたり、争ったりする相手ではなく、むしろ共闘して欧米に対抗すべき国として見なければならないと主張しました。
 しかし、勝の意見は大きな流れにはなりませんでした。

 勝は、晩年のほとんどを赤坂の地で過ごし、口述筆記で著作をまとめる生活を送りました。
 1899(明治32)年の1月19日、脳溢血により意識不明となり、21日に死去しました。

 最期に遺した言葉は「コレデオシマイ」でした。

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