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1月2日 キューバ革命

 1959年の今日は、キューバ革命軍がアメリカ合衆国のかいらい政権であったバティスタ政権を打倒した日です。

 テレビの「世界不思議発見」でキューバが取り上げられていて、興味があったのでとりあげてみました。

 さて、ご存じのとおり、コロンブスがアメリカへやってきたのが1492年。 
 以後、スペイン人がラテンアメリカにやってきて、先住民族はつぎつぎと征服されていきました。 
 キューバもスペイン人に「発見」されたことによりスペイン人の征服が始まりました。

 そのころのキューバには、タイノ族、シボネイ族、カリブ族とよばれる先住民がいました。原始的ながら平和に暮らしていたおだやかな性格の先住民でした。
 
 彼らは抵抗を続けましたが、スペインの遠征隊によって征服され、虐殺、虐待や強制労働、疫病によってそのほとんどが絶滅したとされています。

 スペイン人は、キューバを植民地化する中で、砂糖産業、奴隷産業をさかんにしました。 キューバは、奴隷を使ったさとうきび栽培によって、世界最大の砂糖生産地となっていました。 

 やがて、独立をめざす闘争が始められました。 
 第1次キューバ独立戦争では、スペイン当局にキューバの自治を認めさせました。

 1895年からはじまった第2次キューバ独立戦争では、独立軍はスペイン軍との死闘を続けました。
 島の半分以上を解放し、勝利する寸前まできました。 
 
 ところが、ある日、アメリカ合衆国の戦艦がハバナ港で謎の爆沈を遂げると、激怒したアメリカ国民の支持を背景にアメリカが独立戦争に介入してきました。 

 独立戦争は、いわゆる米西戦争(アメリカ・スペイン戦争)に様変わりし、アメリカ軍はまたたく間にキューバ全島を手中におさめ、アメリカ合衆国の圧倒的な勝利となりました。
 この戦争の結果、アメリカはスペインから、フィリピン・グアム・プエルトリコ・キューバを手に入れました。

 キューバはスペインの植民地からアメリカの植民地に変わりました。
 ついで1902年、キューバ共和国として独立しました。
 400年におよぶスペイン支配から解放され、独立を勝ち取ったかに見えましたが、それはスペインに代わるキューバの新たな主人になったアメリカ合衆国による支配の始まりでした。 

 キューバは憲法でアメリカの内政干渉権を認めさせられ、グァンタナモ、バイア・オンダの2箇所にアメリカの軍事基地を置くことなどが盛り込まれ、実質的にはアメリカの保護国となってしまいました。

 一応の独立後、キューバに進出したアメリカ企業によって精糖産業など多くの産業が支配されました。
 また、政治家の不正が度重なって生じたことで、国民の不満はより深まっていきました。  その後も、キューバではクーデターの発生や相次ぐ政変により、政治的な不安定期が続きました。 

 この不安定な政治状況は、バティスタが政治の実権を握ったことで一定の安定を見せてはいました。 
 バティスタは、1944年の総選挙で敗北したにもかかわらず、8年後クーデターで政権を奪取し、憲法を停止した上で独裁政治を開始しました。 

 2度目のバティスタ政権は1度目とは違い、腐敗、弾圧、独裁の政治が続きました。 
 アメリカに支持されたバティスタ政権と、アメリカ政府、アメリカ企業、アメリカマフィアの4者がキューバの富を独占し、その富がアメリカ本土に吸い取られるような社会構造がつくられていきました。

 1953年7月26日、このようなアメリカによる半植民地状態を終わらせるためには、苦しみの根源であるバティスタ政権を倒さなくれはならない、と青年たちが立ち上がりました。   

 青年たちは、弁護士フィデル・カストロに率いられ、モンカダ兵営を襲撃しましたが、このときは失敗に終わりました。 
 
 カストロらの同志は、メキシコ亡命中に、アルゼンチン人医師のチェ・ゲバラ と出会い、彼からゲリラ戦の訓練を受けました。
 そして、1956年12月、ヨット「グランマ号」にのってキューバに再上陸しました。 
 2年あまりのゲリラ闘争の末、1959年1月1日にバティスタを国外逃亡に追い込みました。

 翌1月2日、革命軍はハバナに入城し、キューバに革命政権が誕生しました。 
 その後、カストロを先頭に農地改革を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れました。 
 また、土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進しました。 
 この過程で、医者をはじめとする中・上流階級の多数の人々がアメリカなどへ亡命していきました。

 バティスタかいらい政権を失ったアメリカは、革命政権を敵視するにいたりました。
 おりからの冷戦による米ソ対立の影響を受け、アメリカに敵視された革命政権はソ連に接近し、1960年に、ソ連と正式な外交関係を結びました。 

 アメリカ政府との対立が決定的になると、キューバ政府は国内からアメリカ企業の排除し、アメリカ資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化していきました。
 
 1961年、アメリカ政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止しました。 
 アメリカは、自国で訓練した亡命キューバ人による反革命軍を、キューバ南部のヒロン湾に侵攻させました。
 しかし、反革命軍は撃退されて目標を果たせませんでした。

 アメリカは、革命以来、キューバ敵視政策をとり続けていますが、国際社会では、アメリカによる理不尽な経済封鎖政策に反対する声が圧倒的になっています。

 毎年の国連総会では、17年連続で、対キューバ通商禁止解除を求める決議を圧倒的な差で可決しています。

 賛成が179に対して、反対は3程度です。反対国は年によって変わりますが、当のアメリカ合衆国とイスラエル、マーシャル諸島、パラオなどです。

 オバマ次期大統領はどうするでしょうか。

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