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1月19日 曹洞宗の開祖、道元の誕生日

 今日は、鎌倉時代の中期、曹洞宗を開いた僧・道元が生まれた日です。

 道元は、3歳のときに父・源通親(みちちか)と、また8歳のときに母と死別するという不幸にみまわれました。
 このため、周囲の反対を押し切って、13歳になると出家して比叡山の延暦寺に入りました。

 しかし、そのころの比叡山は、貴族仏教の寺でした。
 そのような天台宗にあきたらず、京都の建仁寺を訪れて、栄西が中国から持ち帰ってきた禅宗を学びました。
 さらに、1223年、24歳の道元は、日本の仏教にあきたらず、中国(宋)に渡りました。

 そのころの中国には、道元がさがし求めていた高僧は見つかりませんでした。
 あきらめてもう帰ろうかと思い始めたころ、如浄禅師に会い、禅師のもとで禅を学びました。
 禅のために死んでも本望というぐらい禅に打ち込んで修行したと伝えられています。
 
 多くの留学僧が、山のような仏典をみやげに帰国するのに対して、道元は「ただひたすらに坐る」という座禅の教えだけを身につけて日本に戻りました。
 仏典は何一つ持って帰っていないのです。

 帰国した道元は、建仁寺で新しい禅(曹洞禅)を広めようとしました。
 しかし、延暦寺からの迫害が強く、建仁寺をあきらめて深草に興聖寺を建てて、そこに移り住むことにしました。

 両足を組んで座り、精神を統一して悟りを開こうとする修行、つまり「座禅」のほかの修行を認めない、という厳しい姿勢がそれまでの各宗派の教団に嫌われたのでした。

 一方、道元の厳しい禅の修行をしたう者もでてきました。しだいに弟子の数も増えていきました。
 こうなると、またまた迫害が強くなったきましたので、移り住むことを考え始めました。

 道元は、越前(今の福井県)に移って新しく大仏寺を建てました。
 その寺院が有名なのちの永平寺です。

 永平寺に移った道元の考えと修行は、さらに厳しいものになっていきました。
 彼は、権力のある人に近づいたり、名声を求めようとはしませんでした。多くの弟子を育て、正しいと信じる仏教をさかんにするため一生をささげたということができます。

 多くの宗教が、仏教だけでなくキリスト教などはさらに、権力者と結びついて堕落していったことを思うと、道元の思想と行動は見事なものでした。
 道元の思想は、彼の著書である「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」に示されています。
 
 「正法眼蔵」の特色を一言で言うと、「悟りを得るために座禅をするのではなく、座禅そのものが悟りである」と説いたことでしょう。
 行動の規範としては、毎日の生活を厳しい規則にもとづいておこない、ひたすら座禅を行うべきとしました。

 また、この著作は、哲学的にもすぐれた書物として現代にも通じており、高い評価が与えられています。

 1253年、病気のため、京都で無くなりました。54歳でした。

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