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11月15日 岡本綺堂の誕生日

 今日は、明治時代の小説家「岡本綺堂」の誕生日です。
 
 「岡本綺堂」は、1872年、東京高輪に生まれ、麹町にて育ち、旧制中学を卒業後、1890年、東京日日新聞に入社しました。
 その後、24年間を新聞記者として過ごしました。

  1891年、東京日日新聞に小説「高松城」を発表後、1896年、「歌舞伎新報」に処女戯曲「紫宸殿」を発表しました。
 続いて、「維新前後」や「修禅寺物語」を発表して成功をおさめました。

 「修善寺物語」はとりわけ大成功をおさめ、名台詞が豊富なことで知られています。
 また、歌舞伎の作品にしてはたいへん珍しいですが、各国語に翻訳されていて、フランスでもフランス人俳優によって上演されています。
 
 「修善寺物語」(あらすじ)
 鎌倉時代、伊豆修善寺の川のほとりに夜叉王という面作りの名人がいました。二人の娘がいましたが、美人の姉はまだ独身で、名前をかつらといいました。
 
 ある晩、鎌倉二代将軍・頼家が、夜叉王の家にやってきました。
 自分の顔を後の世にも残すために、夜叉王に面の制作を半年も前に注文してあったのに、なかなかできあがらないので催促に来たのでした。

 面はできあがってはいたのですが、そのたびに面に死相が現われるので自信がなくなっていました。
 その夜、夜叉王は得心がいかないために渡せないとことわりました。
 
 怒った頼家が夜叉王を斬ろうとしたので、姉のかつらが死相がでる面の一つを頼家に渡しました。
 面を見て大いに満足した頼家は、面を持ち帰るとともに、美人のかつらをも側女として館に連れて帰りました。

 しかし、その夜、頼家は北条氏の追っ手に入浴中を襲われて殺されました。
 かつらは頼家の面をつけ、影武者となって戦いましたが、瀕死の体で夜叉王の家に逃げ帰りました。
 父・夜叉王は、血にそまった自作の面を見て、将軍の運命を暗示するほど面を作ったことに満足の笑みを浮かべるのでした。
 
 「修善寺物語」は、綺堂が修善寺を訪れたとき、古いお面をみてストーリーを創作したといわれています。
 修善寺は源頼家が北条氏によって幽閉されていた名刹です。
 
 明治44年、東京明治座で2世市川左団次が夜叉王を演じて、大好評を博したといわれています。
 この成功によって、歌舞伎を代表する劇作家となり、「綺堂物」といった言葉も生まれました。

 新聞連載の長編小説や、探偵物、スリラー物を多く執筆し、生涯に196篇の戯曲を残しました。
 なかでもシャーロック・ホームズの影響を受けて、日本最初の岡っ引捕り物小説「半七捕物帳」の執筆を1918年から開始しました。
 私は時代物の捕り物小説をよく読むほうですが、「半七捕物帳」が岡本綺堂の作品とは知りませんでした。

 その他の代表作としては、「番町皿屋敷」「玉藻の前」「鳥辺山心中」などがあります。

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