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11月14日 近松門左衛門作「心中天網島」のモデルが心中 

 江戸時代前期の上方の浄瑠璃の脚本家・近松門左衛門の代表作の一つ「心中天網島(しんじゅうてんのあみしま)」のモデルが、1720(享保5)年の今日、心中しました。

 心中があったのは現在の大阪市都島区網島町、大阪城の近くで藤田美術館のあたりです。京阪電車がすぐ近くを走っています。
 すぐ近くに大阪市長公邸や太閤園があります。

 近松門左衛門は、大阪南部の住吉の料亭にいたとき、心中の知らせをうけ早駕籠で大阪にもどりました。
 その途中の駕籠の中で、早くもこの事件をモデルにした浄瑠璃の書き出しを考えていたといわれています。

 浄瑠璃「心中天網島」は早くもその年の暮れ、12月6日に大坂竹本座で初演されました。その後、歌舞伎でも上演されています。
 愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されています。

 あらすじは、ざっと次のようなものです。
 大坂天満の紙屋の主人「紙屋治兵衛」は曽根崎新地の「遊女小春」と三年にわたる深い仲になりました。商売にまで支障をきたすほどの入れ込みようで、見るに見かねた者が二人の仲を裂こうとあれこれ画策しますが、なかなかうまくいきません。

 離れ離れになるのを悲しむ小春と治兵衛は、二度と会えなくなるようならその時はいっしょに死のうと、心中の誓いを交わすほどでした。
 
 治兵衛には女房おさんがいました。
 おさんは、小春に、「夫と別れて欲しい」という手紙を出し、一方、治兵衛の兄・孫右衛門も侍に変装して小春に会いにきて、「別れてほしい」と頼みます。

 小春は、おさんの気持ちを汲んで「ほんとうは死にたくない」といいますが、とぼとぼと小春に会いきた治兵衛が、玄関先で孫右衛門が治兵衛のことを思い切るように頼んでいるのもすべて聞いてしまいます。

 小春は、おさんの心根を思い、治兵衛から身を引こうとします。そして偽りの愛想づかしをして治兵衛と別れました。
 別れたあとの治兵衛は、仕事に精を出すわけでもなく寝転がってばかりいる有様でした。
 
 その後、小春が治兵衛の恋敵である太兵衛に身請けされるということが耳に入ってきました。これを聞いたおさんは、小春は死ぬ覚悟ではないか察しました。
 おさんは女同士の義理のため、小春を身請けするように治兵衛にすすめます。
 
 おさんは、子どもと自分のありったけの着物を質屋に入れて、身請けのための費用を捻出しました。
 そこへ、おさんの父・五左衛門がやってきて、力づくでおさんを実家に連れ戻し、親の権力で離縁させてしまいます。
 
 望みがなくなった小春と治兵衛はふたたび心中を約束しあい、淀川河畔の網島の大長寺で心中して果てたのでした。

 二人は俗世との縁を絶つために髪を切ったあと、治兵衛が小春の喉首を刺し、自らは首を吊りました。

 さて、大長寺の敷地は明治末期、豪商藤田伝三郎の邸宅用地として買収されたために、少し離れた東野田交差点の北に移りました。
 大長寺のあとに藤田美術館が建てられ、大長寺の山門は、そのまま藤田美術館の正門として残っています。

 なお、大長寺には、治兵衛と小春の比翼塚があります。この比翼塚は、寺ととも現在地へ移っています。

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