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10月25日 広島「原爆の子の像」モデル、佐々木禎子の命日

 今日は、戦時中、広島市に住んでいた「佐々木禎子」(ササキサダコ)の命日です。
 「佐々木禎子」は、広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになっている少女です。
 また、シアトルの平和公園にも銅像があります。
 
 佐々木禎子は1943年の生まれです。
 爆心地から1.7kmの自宅で、黒い雨により被爆しました。そのとき彼女は2歳でした。
 被爆したものの外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋に突然、病のきざしが現れました。
 首のまわりにシコリができはじめ、シコリがおたふく風邪のようになって、顔が腫れ上がり始めました。翌年2月に白血病と診断され、広島赤十字病院に入院しました。長くても1年の命と言われました。

 入院してから、お見舞いとして送られてきた折り鶴を彼女も折り始めました。禎子だけではなく多くの入院患者も折り始めました。
 彼女は、折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じてひたすら折り続けました。1000羽を超えた時、さらに「もう1000羽折るわ」と、折り続けました。
 その後、折り鶴は小さいものになり、針を使って折るようになりました。当時、折り紙は高価でしたので、折り鶴は薬の包み紙のセロファンなどで折られました。
 
 彼女の病状は悪化し、回復を願って折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、1955年10月25日に帰らぬ人となりました。
 死後、彼女が折った鶴は葬儀の時に2・3羽ずつ参列者に配られました。

 彼女の死をきっかけに、平和を願い、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰めるために像をつくろうという運動がおこりました。
 3年後の1958年、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。
 その後、この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には、日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1000万羽にものぼります。
 こうして、折り鶴と平和の願いが結びついたのです。

 「原爆の子の像」の頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。
 像の下の石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。
 
 塔の内部には、少年少女たちの気持に感動したノーベル物理学賞の湯川秀樹の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられています。
 その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音がでるようになっています。

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