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10月21日 マゼランがマゼラン海峡を通過(発見)

 1520年の今日、世界一周を成し遂げたことで有名な、フェルディナンド・マゼランが南アメリカ大陸の南端にある「マゼラン海峡」を通過した日です。ヨーロッパ人としては「発見」でした。

 マゼランは7日間をかけてここを通過し、後に彼の名前をとって「マゼラン海峡」とよばれるようになりました。
 航海の難所として有名な海峡で、全長600kmの狭い海域に、早い潮流と多くの暗礁が点在しています。マゼランの艦隊がわずか7日で通過できたのは、当時としては奇跡だといわれています。
 
 さて、マゼランは、25才のときから、ポルトガルの東方遠征で命がけで戦い、試練を積んで、10年後にリスボンへ帰りました。
 ところが、苦労した割りには功績をたたえてもらえませんでした。
 ポルトガルに見切りをつけ、西回りでモルッカ諸島に達する航海について、スペイン国王の後援をとりつけました。
 モルッカ諸島は香料の産地として有名でした。

 1519年9月20日、5隻のスペイン船隊と237人の乗組員を率いて出帆しました。
 前述のマゼラン海峡を通過できたのはヴィクトリア号を含む3隻だけでした。サンティァゴ号はマゼラン海峡で難破して遭難しました。サン・アントニオ号はマゼラン海峡で反乱をおこし、逃亡して帰国してしまいました。
 
 マゼラン海峡をぬけて、広くて大きな海に出てからは、嵐にもあわず、穏やかなことを喜んで、マゼランはこの海を「マール・パシフィコ(平和の海)」と名づけました。
 英語では、「Pacific Ocean」といいます。
 これらが日本語に素直に直訳されて、「平和・泰平の海=太平洋」という名が付けられました。
 しかし、太平洋に入ってからは食料が思うように手に入らず、飢餓と壊血病に苦しめられました。

 3ヶ月ほどたってやっと島をみつけました。グアム島です。
 この島では、村落を襲って、島民らを殺して食料を強奪しましたが、現地住民によって奪いかえされました。怒ったマゼランが焼き討ちをかけたので戦闘になりました。マゼランは、ここを泥棒諸島と名づけました。
 一行はフィリッピン諸島を経て、セブ島に向かいました。
 
  セブ島では、現地の指導者をキリスト教に改宗させ、彼を王として認めるように周辺の島々に要求しました。これには隣島のマクタン島の領主が反対しました。
 マゼランはマクタン島を攻めましたが、このときの浅瀬の白兵戦で、ラブ=ラブとの交戦中に戦死しました。マゼラン、41歳のことでした。
 
 ヨーロッパ人の世界進出は、略奪の歴史でもあります。
 マゼランを殺したラプ=ラプはフィリピンでは、侵略者を撃退した英雄として伝説になっています。
 
 残りの一行はそのまま、当初の目的地であったモルッカ諸島に何とかたどり着くことができました。
 そこで香料を積荷したのち、スペインに直行しました。
 1522年9月6日、出発したサンルカル・デ・パメタ港に帰港しました。生存者は18名だけでした。
 この世界一周の航海によって地球が丸いことや日付に一日のずれがあることが実証されました。

 なお、マゼラン海峡を通過した3隻の船隊のうち、コンセプシオン号はセブ島で乗員不足のため焼き捨てられました。
 トリニダート号はモルッカ諸島で香料を積み過ぎて沈没しました。
 最後まで残ったヴィクトリア号だけが世界一周を達成したことになります。

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