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10月9日 春日八郎が生まれた

 演歌歌手の春日八郎は1924年の今日、福島県の会津坂下町で生まれました。

 春日八郎は、当時すでに大歌手だった藤山一郎のステージを見て歌手に憧れ、歌手をめざして上京しました。東洋音楽学校を卒業したものの、なかなかヒットに恵まれず、苦しい下積みの時代をすごしました。

 1949年にキングレコードに入社した3年後、大ヒット作に恵まれました。
 「赤いランプの終列車」です。この大ヒットで忙しくなり始め、活動の場が広がっていきました。
 さらに春日八郎をスターに押し上げたのは「お富さん」(1954年)の大ヒットでした。発売半年で50万枚、最終的には100万枚を超える大ヒットです。当時の100万枚というのはものすごい数字です。

 私は、この「お富さん」がラジオから流れてくるのを何度も何度も聞いているうちに、覚えてしまいました。まだ小学生だったのに、歌詞の意味もわからないままさかんに歌っていました。懐かしいです。
 当時、流行のブギのリズムを入れてつくられた曲で、とても軽快です。
 「粋な黒塀」、「見越の松」、「他人の花」といったあだっぽい歌詞だけでなく、伴奏(特に前奏)がすごく耳に残っていて、離れません。
 
 この曲は、急きょ若手歌手であった春日八郎が歌うことになったそうです。春日にツキが回ってきました。
 そのころ、春日八郎とともに若手の「三羽烏」といわれていたうちの一人にビクターの三浦洸一がいました。
 ビクターはキングの「お富さん」に対抗して三浦洸一に「弁天小僧」を歌わせました。
 この「弁天小僧」もヒットしました。
 三浦洸一は歌唱力のある、まじめな歌手でした。ラジオから流れてくる「弁天小僧」の歌も、歌詞の意味ががわからないまま、私はさかんに歌っていました。いまでも歌詞は覚えています。

 1955年には、「別れの一本杉」が60万枚の大ヒットをしました。それまでの流行歌とは少しちがう、ふるさとを偲ぶ、哀愁にみちた歌謡曲をたて続けにヒットさせました。
 この曲は「演歌」という新天地を切り開いた作品といわれています。

 泣けた 泣けた
 こらえきれずに 泣けたっけ
 あの娘と別れた 哀しさに
 山のかけすも 泣いていた
 一本杉の 
 石の地蔵さんのよ 村はずれ(「別れの一本杉」)

 そのころ三橋美智也が登場し、二人の高音の歌声と高度の歌唱力に国民は魅せられました。
 地方から都会に出てきた人々は、ふるさとを思い出して歌ったといわれています。

  その後、「あん時ゃどしゃ降り」、「ごめんよかんべんナ」、「山の吊橋」、「あれから十年たったかなァ」、「長崎の女」などのヒットを飛ばし、演歌の発展につくしました。

 1991年10月22日に肝硬変のため死去しました。
 67歳でした。
 声質・声量共に一流で、その声は今なお多くの人を魅了しています。

  出身地の福島県会津坂下町では、春日八郎の功績をたたえ「春日八郎記念公園・おもいで館」を建設しました。
 遺品の展示コーナーなど春日八郎の作品も揃えられています。
 会津坂下駅前の広場には、銅像と「赤いランプの終列車」の歌碑が建立されています。

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