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10月6日 結合双生児の兄 グエン・ベトが死去

 今日は、ベトナム戦争でアメリカ軍による枯葉剤散布の被害者と思われる、下半身がつながった結合双生児「ベトちゃんドクちゃん」の兄、グエン・ベトが死去した日です。

 二人のショッキングな姿は、世界中にショックを与えました。特に日本ではベトナム戦争被害のシンボルとなり、さまざまな支援の手が寄せられました。
 
 ベトが急性脳症で意識不明の重体になったことをきっかけに、2人とも死亡してしまう
事態を避けるため、2人の分離手術が実施されました。
 日本の高度な医療技術が提供され、17時間におよぶ大手術は成功し、ベトには左足が、ドクには右足がそれぞれ残されました。 
 
 長じてドクは病院事務員となり結婚もしましたが、ベトは脳症の後遺症により最期まで寝たきりの状態でした。  
 分離後、ドクは障害児学校から中学校に入学しました。やがて、ツーズー病院の事務員となりました。ボランティア活動も行っています。そして、結婚もしました。

 一方、ベトは重い脳障害を抱え、寝たきりの状態が続きました。弟ドクの結婚式にも出席できませんでした。
 2007年10月6日、ベトは、ドクの必死の願いにもかかわらず、腎不全と肺炎を併発して死去しました。
 26歳の若さでした

 さて、ベトナム戦争中、アメリカはナパーム弾、黄リン爆弾、ボール爆弾などを投下しましたが、ジャングルを消滅させる目的で広い範囲に枯葉剤を撒きました。
 ベト・ドクの母親フエは終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていました。
 彼女は枯葉剤のまかれた井戸で水を飲んだといっています。
 
 枯葉剤には猛毒ダイオキシンが含まれていました。ダイオキシンは発がん、先天性障害、身体機能障害の原因物質とされ、散布地域では障害を持った子どもが多数生まれています。
 ベトナム人300万人以上が影響を受け、土中や水中に残留したダイオキシンにより、いまも影響が続いているとみられます。
 枯葉剤の撒かれた地区では、散布前に比べ、奇形児が13倍に増えています。被害者はベトナム人だけではありません。
 枯葉剤を扱った米軍兵士の子どもには、15倍の奇形児が発生したとされています。

 そもそも、ベトナム戦争とは、日本が敗戦した後、ホーチミンを中心とするベトナムの民族独立のための戦いを、フランスやアメリカが押しつぶそうとした戦争でした、
 アメリカは最大54万人、延べ650万人の兵力を動員してベトナム人のたたかいを押しつぶそうとした戦争です。
 この時代、アメリカ本国でもベトナム反戦の運動が大きく盛り上がりました。
 もちろん日本でもベトナム反戦の運動が盛り上がりました。
 若かった私は、集会に、デモに、大忙しでした。

 結局、アメリカは目的を達せず、1973年に撤退しました。南ベトナムの首都サイゴンも1973年4月30日に陥落しました。
 そして、約30年ぶりに戦争が終わり、平和が訪れ、南北が統一したベトナム民主共和国が成立し、今日に至っています。
 そして、サイゴンはホーチミンと名前を変えました。

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