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10月8日 石川五右衛門が釜茹でにされた日

 1594年の今日、盗賊・「石川五右衛門」が京都三条河原で釜茹でにされて処刑されました。  
 伊賀流忍者の抜け忍であったのではないかという説もあります。村山知義の「忍びの者」の主人公です。

 手下や仲間を集めて、頭となり悪事を繰り返しました。手下や華族を養うための強盗でしたが、相手は権力者に限られていました。
 また時代の背景としては、秀吉の圧政のもとで多くの農民が苦しんでいました。朝鮮出兵の失敗で秀吉が嫌われていたこともあり、五右衛門は庶民のヒーロー的存在になっていきました。
 秀吉暗殺を引き受けて、秀吉の寝室に忍び込見ましたが、暗殺寸前で捕えられました。その後、すさまじい拷問の末、捕えられた配下の一人がすべてを自供したため、今まで悪事がすべて暴かれてしまいました。

 当時、日本に滞在していたあるヨーロッパの貿易商が書いた「日本旅行記」によると、「かつて京都を荒らしまわる集団がいたが、15人の頭目が捕らえられ、京都の三条河原で生きたまま油で煮られた」との記述があります。
  
 「豊臣秀吉譜」(林羅山編)によると、「文禄のころに石川五右衛門という盗賊が強盗、追剥、悪逆非道を働いたので秀吉の命によって京都所司代に捕らえられ、母親と同類20人とともに釜煎りにされた」と記録しています。
 こうしてみると、石川五右衛門という人物が安土桃山時代に徒党を組んで盗賊を働き、京都で処刑されたという事実は間違いないと考えられています。

 また、五右衛門を煮た釜というのが戦前まで東京の刑務所協会に保存されていましたが、戦時中どこかに消失してしまったということだそうです。
 想像ですが、戦時中のことですから、密かに鉄砲の弾になったのではないでしょうか。

 江戸時代にはすでに伝説の大泥棒として知られていますが、盗賊の彼が人気を博した理由は、浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられたからです。
 義賊としてあつかわれたのに加えて、時の権力者・豊臣秀吉の命を狙うという筋書きが庶民の心を捉えたました。
 また、徳川の時代ですから、秀吉の命をねらった盗賊を持ち上げることは、幕府に対しての点数稼ぎにもなりました。

 歌舞伎で、「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小せえ、ちいせえ」とキセルを片手に持って見得を切る場面は特に有名です。
 また、熱さに耐えながら「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と辞世の句を詠む場面も有名です。

 なお、「釜茹で」は熱湯で煮殺すのですが、「釜煎り」 という説もあります。「釜煎り」は油を引いた釜の中にで煎り殺されたというのが真実のようです。
 どちらにしても、ぞっとする処刑方法ですね。

 大阪府三島郡島本町にある水無瀬神宮に石川五右衛門がつけたといわれる手形が残っています。
  風呂釜を直火で温めた風呂のことを五右衛門風呂という名前は、釜茹でにされた(正確には釜煎りされたらしい)とされるこの事件にならっています。

 アニメの「ルパン三世」に登場する架空の人物で「石川五ェ門」というのがいますが、石川五右衛門の子孫という設定です。
 ゲームソフトでも石川五右衛門をモデルにしたものができています。
 
 当時、相当の極悪強盗だった「五右衛門」は、現代では人気キャラクターに変身しています。

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