10月27日 山東京伝、世を去る
1816年の旧暦の今日10月27日、江戸時代の戯作(ゲサク)者・山東京伝が胸痛の発作を起こし、56歳でこの世を去りました。
京伝は戯作者(小説家)であるとともに絵師、それも単なる絵師ではなくデザイナーでもありました。
俗称を京屋伝蔵といい、「紅葉山の東に住む京屋伝蔵」というところから、「山東京伝」というペンネームをつけたといわれています。
黄表紙の挿絵画家としてデビューしましたが、のちに戯作者に転じました。
「御存知商売物」、「江戸生艶気樺焼」など多くの黄表紙や洒落本を書き、大評判を得て売れっ子作家となりました。
さらに、遊郭内部のようすを描いた洒落本を出し、これもベストセラーとなります。
かの有名な曲亭馬琴も京伝に入門して、戯作者として出発しています。
京伝以前は戯作者に対して原稿料を払うしくみはありませんでしたが、最初に原稿料が支払われるようになったのは山東京伝からであるともいわれています。初のプロ作家というべきでしょうか。
しかし、順風にきていましたが、京伝の洒落本と黄表紙が、松平定信による寛政の改革で出版取締りによって罰を受け、手鎖50日の刑を受けました。
手鎖という刑は、前に組んだ両手に鉄製で瓢箪型の手錠をかけ、一定期間自宅で謹慎させる刑罰です。
京伝の場合は50日の手鎖でしたから、5日ごとに役人(同心)が来て錠改めを行いました。手鎖の中央の封印を確認し、もし無断で錠をはずしていたことが発覚した場合には、それより一段階重い罪が科せられるしくみになっています。
自宅謹慎の執行期間中の日常生活は、食事に書き物、排便に更衣など不便この上なく、すべてに支障をきたしました。
処分が解除されたあとは、洒落本からは手を切って、読本、合巻と呼ばれる小説を執筆する方向に転じて、江戸戯作界の第一人者として活躍し続けました。
また、京伝は、江戸京橋に紙製の煙草入れの店を開きました。
京伝は、目新しい商売スタイルを考えました。人出の多いところに京伝自身が描いたポスターを張って客を集めることでした。
さらに京伝がデザインした包装紙で煙草入れをくるんで販売しました。包装紙欲しさに煙草入れは飛ぶように売れ、大流行しました。
さらに「京伝張り煙管(キセル)」もヒットしています。
なお、古い言葉ですが「京伝勘定」というのがあります。
山東京伝は金もあり、遊び人のくせに、勘定に細かいところがあって、飲んだあともその場で頭割りで勘定をはじめました。
つまり、「京伝勘定」とは、今では当たり前の「割勘」のことなんですね。
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