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10月7日 「かい人21面相」が、グリコに続いて森永を脅迫

 1984年3月、江崎グリコ社長の誘拐に始まったグリコ・森永事件で、「かい人21面相」の次の犯行ターゲットが、グリコから森永製菓に向けられたのは、同年の今日、10月7日のことでした。

 京阪神のスーパーで、「どくいりきけん たべたら死ぬで かい人21面相」と書いてあるシール付きの森永製品が発見されました。
 森永の製品12点から、致死量の青酸ソーダが検出されています。
 さらに、犯人から、10日後にシールなしの青酸入り菓子を全国に置くとの予告がありました。
 このためスーパーなどは森永製品を一斉に撤去しました。

 その後、犯人はその他の食品メーカーや警察、マスコミ宛に脅迫状や挑戦状を送りつけてきました。後になって、丸大食品、不二家、ハウス食品も脅迫されていたことがわかりました。
 現金を要求されていた食品メーカーは現金を用意しました。犯人は現金を受け取るため指示は出しますが、用心深く、ついに犯人を捕まえることはできませんでした。

 ただ、犯人に接近した場面はありました。 
 11月14日、ハウス食品が脅迫されていた時、現金1億円を犯人に渡すべく、社員に変装した警察官が輸送車に乗りました。
 何回かの犯人の指示で、名神高速道路の草津パーキングエリアから東へ5kmの地点へ、午後9時過ぎに向かっているころ、犯人の車らしき白いワゴン車が高速道路下の県道に停まっていました。高速道路から投下された現金を下で受け取る役目でしょう。

 この白いライトバンが、暗くて人気のないところに停まっているので、偶然通りかかった滋賀県警のパトカーが不信に思って近づいたところ、この白いライトバンには男が乗っていましたが、急発進して逃走しました。
 後を追いましたが、このあたりの地理に明るいようで、パトカーは追いつくことはできず、商店街あたりで見失ってしまいました。
 後日、この白いワゴン車は盗難車とわかりました。

 滋賀県警は、捜査本部から「この地点が、最重要事件の現金取引所である」という連絡を受けていませんでした。
 この時の警察の失態はかなり批判にさらされました。滋賀県警本部長は、翌年、辞職のあと滋賀県警本部の中庭で責任をとって焼身自殺をしました。
 
 なお、1985年8月、犯人は、「くいもんの 会社 いびるの やめても まだ なんぼでも やること ある 悪党人生 おもろいで   かい人21面相」と終息宣言を出しました。

 この後、子ども達のおやつが店頭に復活するとともに、かい人21面相は姿を消しました。

 「かい人21面相」の目的は何だったのでしょうか。目的は達したのでしょうか。目的といえば「金」ですが、公式発表では現金は奪っていません。
 脅迫された企業が裏取引に応じたと見られる新聞広告を出していますので、密かに手にしたのかもしれません。
 
 また、脅迫された企業の株価を操作するために、仕組んだのではないかともいわれています。
 グリコの事件では、グリコに恨みをもつものの犯行ではないかともいわれました。
 また、警察の内部に犯人がいるのではということで、ふだんの行動が良くない警察官も密かに洗われていました。
 犯人は複数の人間がいるのに、仲間割れが一切なく、団結を守っているのも、他の事件とは何かちがいますね。

 とにかく、1994年6月をもって、一連の事件は時効になりました。

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