« 9月23日 海王星が発見された日 | トップページ | 9月25日 シーボルトが国外追放になる »

9月24日 西南戦争で西郷隆盛が自刃

 1877年の今日は、西南戦争で敗北した西郷隆盛が自刃した日です。

 西郷隆盛は、薩摩出身の幕末から明治にかけての政治家です。
 薩摩の貧しい家に生まれ、苦労が多かったといいます。また、人を引きつける誠実な人柄を持っていたともいわれています。

 幕末の尊皇攘夷運動のなかで、坂本竜馬の仲立ちのもと、薩摩を代表して長州の木戸孝允と薩長同盟を結んで、倒幕の方向に運動を導きました。
 さらに、王政復古の大号令が出されたあとの戊辰戦争では、新政府軍を指揮して旧幕府軍をつぎつぎ打ち破り、江戸城総攻撃の際、勝海舟との談判の上、江戸城を無血開城させたことなどはとくに有名です。

 さて、明治になって政府の参議になりましたが、1873年、政府内での征韓論争に破れた西郷隆盛は、役職を辞して故郷鹿児島に帰りました。鹿児島では、政治とは離れて、私学校を設立して子弟の教育に力を入れました。

 しかし、そのころ国内では、1873年に徴兵令が実施されたのにつづいて、1876年には士族への俸禄の支給が全廃されました。そして廃刀令で軍人警官以外の帯刀が禁止されたことなど、武士の特権がことごとく奪われ、現実の生活も貧しいなかで、士族の不平不満が高まっていきまました。

 こうした中で、佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱などの不平士族の反乱が各地でおきました。
 これらの反乱は、明治維新で中心的な役割を果たした下級武士たちが、新時代において不当に扱われ、強い憤りが爆発して反乱に発展したものです。 

 1877年1月 政府が鹿児島にあった軍の兵器・弾薬を大阪にひそかに移転しようと考えたことが、鹿児島の私学校の耳に入りました。私学校生徒はその機先を制してこれを奪い取り、占拠してしまいました。こうして鹿児島には、反政府熱が高まって、不穏な空気がただよい始めたのでした。

 私学校の生徒の動きに対して、「おきてしまったことは仕方ない」と西郷は兵を率いて上京することを決意し、その年の2月、鹿児島を出発して熊本に向かいました。
 こうして、西南戦争が始まりました。 
 
 やがて、熊本に入った3万の西郷軍に対して、政府は4万の兵を送り、激しい戦いが繰り広げられました。
 そして西郷軍はしだいに政府軍に追い込まれ、9月になると、鹿児島に退却して城山にこもりました。しかし、500を数えた兵員も城外に去るものが多く、総勢372名に減り、そのうち銃を持つものは150名内外に過ぎなくなりました。
 
 9月24日、総攻撃を受ける中、ついに西郷隆盛は自刃に、最期をとげました。
 西郷隆盛みずからの強い意志で反乱をおこしたのではなく、私学校生徒ら、西郷を慕うまわりの不平士族に祭り上げられて、反乱の首謀者になった面が強いと思われます。

 最大で最後の士族の反乱が西南戦争でした。この西南戦争の結果、武力による反政府運動はなくなり、言論による政府打倒、つまり自由民権運動へと変化していきました。
 

« 9月23日 海王星が発見された日 | トップページ | 9月25日 シーボルトが国外追放になる »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503568/42581923

この記事へのトラックバック一覧です: 9月24日 西南戦争で西郷隆盛が自刃:

« 9月23日 海王星が発見された日 | トップページ | 9月25日 シーボルトが国外追放になる »