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9月16日 モース博士が大森貝塚を発見

今日は、アメリカ合衆国の動物学者モースが、「大森貝塚」を発見した日です。

 モースはハーバード大学で海洋生物学を学び、ボードウィン大学では教授として、動物学や比較解剖学を教えていました。

 1877年、39歳になった誕生日に、モースは横浜港に降り立ち、始めて日本の土を踏みました。
 来日の目的は相模湾に多く棲息する腕足類(形が二枚貝に似ているホオズキガイ)の仲間の採集したり研究するためでした。しかし、東京大学の動物学の教授が足らないというので目をつけられ、頼み込まれ、来日3ケ月で「お雇い外国人」になりました。

 モースは、東京大学での講義で、ダーウィンの進化論を日本の学会に紹介しています。日本人が始めて進化論に触れた瞬間でした。モースは聴衆に大きな感動を与えたとのちに書いています。
 モース以前の「お雇い外国人」の教授たちの多くはキリスト教の宣教師だったので、進化論を聞いても信じるなと講義をしているほどでした。

 さて、「大森貝塚」は東京都の大森駅付近にある縄文時代の貝塚です。
 モースは来日した当日、横浜から新橋へ汽車で向かう途中に、通過中の窓から見つけていて、この貝塚を調べてみたいと思っていました。
 その年の10月には発掘調査が行われ、日本で最初の貝塚の発見となりました。

 モースは丹念に研究し、調査結果をイギリスで発表しました。その時、出土した土器を「コードマークの土器」と名付けました。当時は、索文土器と日本語に訳されましたが、のちに縄文土器の名前が一般的になりました。

 貝塚とは縄文時代の人々のごみ捨て場ですが、死者を埋葬する場でもありました。貝殻はもちろん、土器・石器・骨角器のほかに人骨や動物・魚・鳥などの骨が出土しています。
 これらのごみは当時の人々の生活を知るための重要な資料になっています。

 縄文時代の人々は竪穴住居に住み、集落とその周辺で貝を取ったり、小動物を狩りしたり、栗やくるみなどの木の実を採集したりして暮らしていました。
 生きていくための自然条件がとても厳しかったことが、ある人骨からわかっています。

 縄文時代初期のある人骨に樹木の年輪のような筋が見られるのです。飢餓線と呼ばれています。成長期に長期的な飢えによって餓死寸前になり、成長が一時的に停止したからだろうと言われています。筋は11本もありました。
 また、15歳まで生きた場合の平均死亡年齢は男女共31歳だと言われています。15歳以下の生存率はとても低かっただろうと推定されています。
 縄文時代は9000年間も続きました。不安な日々の連続だったことでしょう。

 このように現在では、各地で貝塚・遺跡が発見され、考古学の研究も進んでいますが、モースが来日した明治の初めには日本には考古学はありませんでした。
 
 モースは、東京大学の教授たちと熱心に発掘調査と研究を行い、日本の考古学の基礎を築きました。
「日本の考古学の父」と言ってもいいように思います。


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