« 9月10日 映画「羅生門」がベネチア国際映画祭で金獅子賞 | トップページ | 9月12日 マラソンの日 »

9月11日 剛速球の怪童・尾崎行雄の誕生日

 今日は、剛速球で知られた野球投手の尾崎行雄の誕生日です。 
 議会政治の父といわれる政治家・尾崎行雄にあやかって同じ名前を付けられたということです。

 1961年、当時の浪商高校2年生の時、夏の甲子園で優勝投手となり、怪童とよばれました。
 前年夏の甲子園から3度にわたる法政二高の柴田勲(→巨人)との対決は名勝負として知られています。

 さて、尾崎行雄は豪速球の持ち主で、1年の時からエースでした。
 一方、このころの法政二高は投打のバランスがとれていて、史上最強とまでいわれた超高校級チームでした。尾崎の浪商高校は甲子園で、この最強チームと3季連続で当たってしまいました。
 1回目の対戦は夏、2回目の対戦は春の選抜でしたが、チームとしての総合力が勝る法政二高に敗北しました。
 
 尾崎にとって3度目の正直である2年生の夏の大会では、柴田勲がエースの法政二高との準決勝で当たりました。
 試合は、前半で2点を失うという苦しい展開でした。打線は不振で柴田勲に8回までわずか1安打と完璧に抑え込まれていました。打線は反撃の糸口さえつかめないほど不振でした。

 2点リードされたままで最終回、2死ながら満塁のチャンスを迎えました。ヒットが出れば同点、アウトになれば万事休すという絶体絶命の場面でした。
 その時の打者は尾崎幸雄でした。この土壇場で尾崎は柴田から同点タイムリーを放ち、ゲームは延長戦へ突入しました。
 押せ押せムードの浪商は延長11回、尾崎の犠牲フライとダブルプレー崩れで2点を勝ち越しました。その裏は、法政二高の反撃をかわして、尾崎の浪商高校がついに宿敵を倒しました。

 翌日の決勝は、尾崎の豪速球が冴えに冴え、当時、強かった桐蔭高校(和歌山)に対して「1対0」の完封勝ちをおさめて優勝旗を手にしました。

 その後、2年で高校を中退して、水原茂が監督をしていた東映フライヤーズに入団しました。背番号は19で、1年目には17歳ながら20勝9敗、防御率2.42の成績で新人王を獲得しました。
 1964年から3年連続で20勝を達成しています。1965年には27勝をあげて最多勝利投手になっています。

 しかし、以降はオーバーワークがたたり、肩を痛めて不振におちいりました。野球選手としては早すぎる29歳の現役引退でした。
 当時は、今とちがって投手を酷使する傾向があり、20勝投手・30勝投手が多くいたのもそのためです。早くして現役引退した剛速球投手が多かったように思います。

 私が尾崎行雄を知ったのは、高校野球を見ているときでした。うなるような剛速球と、やんちゃっぽい雰囲気が印象に残っています。

 プロに入ってからの尾崎行雄は、周囲が大人の選手なので、可愛く写りましたが、マウンドではニコニコ笑っていたので、度胸があるんやなと思っていました。
 あとで知ったところによると、笑っていたのはワザとしていたのであって、内心は緊張の連続だったというようなことをいっていました。

  剛速球で勝負するタイプの投手なので、球団に関係なく好きな野球選手の一人でした。若くして引退したことは残念でした。
 現在も元気で活躍されてるようです。

« 9月10日 映画「羅生門」がベネチア国際映画祭で金獅子賞 | トップページ | 9月12日 マラソンの日 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503568/42440740

この記事へのトラックバック一覧です: 9月11日 剛速球の怪童・尾崎行雄の誕生日:

« 9月10日 映画「羅生門」がベネチア国際映画祭で金獅子賞 | トップページ | 9月12日 マラソンの日 »