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9月17日 楊太真が貴妃になった日

 中国の唐の玄宗は、溺愛していた楊太真を、745年の今日、妃の最高位である貴妃としました。この時から、彼女は楊貴妃とよばれるようになりました。

 顔をめぐらして微笑みを投げかけるとき、その容姿はこのうえなくなまめかしいと、唐の詩人白楽天の歌にも詠まれています。
 楊太真は頭がよく、歌舞音楽がたくみで、世界三大美人のうちの一人にも名前が上がっています。
 
 さて、彼女はもともとは玄宗の皇子・寿王の妃でした。
 玄宗は絶世の美女が目にとまり、やがて離婚させて、道教の尼にしました。このとき太真という名を与えています。
 尼としていったん宮廷から出されたと思いますが、4年後、還俗させられて、玄宗の妃になりました。22歳のときでした。
 このため一族のものも高位高官を得たと言われています。 
  
 さて、玄宗が帝位についたのは、712年、28歳のときでした。はじめはすぐれた役人を用いて、乱れていた政治をひきしめ、人々のくらしを安定させたので「開元の治」とよばれ、貴族の文化も発達しました。
 都の長安には世界各地から人々が集まり、大いに繁栄しました。
 そのころの日本は奈良時代でしたが、遣唐使がたびたび派遣されていました。

 しかし、玄宗は老年になって政治にあいてきて、若い楊貴妃を溺愛するようになると、政治を放り投げたため国が乱れてきました。
 人々のくらしが苦しくなり、不満が高まってきても、宮廷の中は栄華に酔っていました。

 ところが、755年、突如として玄宗の忠実な家臣だった安禄山が大反乱をおこしました。
 安禄山の反乱軍は洛陽を占領し、長安にせまってきました。
 玄宗と楊貴妃は長安を捨てて四川省に逃れましたが、楊貴妃は途中で兵士に絞殺されました。
  
 楊貴妃の絞殺は、反乱軍の圧力に屈服した玄宗の指示だったとも言われています。
 貴妃の地位についてから約10年しかたっていませんでした。

 翌年、玄宗は退位しましたが、唐はさらに150年間続きました。

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