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8月12日 淡谷のり子の誕生日

 今日は、私が好きな歌手「淡谷のり子」の誕生日です。
 「ブルースの女王・淡谷のり子」は1907年8月12日、青森市で豪商の長女として生まれました。

 青森大火によって生家が没落し、母・妹と上京しました。
 東洋音楽学校ではオペラ歌手を目指すためクラシックの基礎を学びました。
家が貧しくなったため休学し、絵画の裸婦のモデルをして生活費を稼ぎながら、首席で卒業しました。
 オール日本新人演奏会では「10年に1人のソプラノ」と絶賛されました。
 
 しかし、クラシックでは食べて行けないと判断した淡谷は流行歌を歌い始めました。コロムビアでは映画主題歌を中心に外国のポピュラーソングを吹込みました。
 1935年の「ドンニャ・マリキータ」はシャンソンとしてヒットし、日本のシャンソン歌手の第1号となりました。
 
 日中戦争が勃発した1937年には、「別れのブルース」が大ヒットして、一躍スターになりました。
 その後も数々のヒットソングを送り出し、「淡谷のり子」の名をとどろかせました。

 戦時下では多くの慰問活動を行っていますが、淡谷は強い信念を持っていました。
 ・・・「もんぺなんかはいて歌ってもだれも喜んだりはしない」
 ・・・「化粧やドレスは贅沢ではなく、歌手にとっての戦闘服」
 こうして、戦時中にもかかわらず、厳しく禁止されていた化粧をし、パーマをかけ、ドレスに身を飾って兵士たちを慰め、歌い送っていました。
 
 戦後は、「君忘れじのブルース」などヒットをとばし、1953年にはNHK紅白歌合戦に初出場していきなりトリをつとめました。
 私は、このころに「淡谷のり子」を知りました。
 体の前で軽く腕を組んだ姿勢で、ブルースを歌う「淡谷のり子」の歌唱力はすばらしいものがありました。
歌唱技術の高さは定評がありました。

  しばらくするとオーディション番組の審査員やバラエティ番組などにテレビ出演しますが、音楽的な基礎を学んできた淡谷の自信と経験から、辛口の発言が多く飛び出しました。
 自分の思ったことを遠慮しないで、「イヤなものやイヤ」「ダメなものはダメ」と言い切れるところに人気があったと思います。

 一方、ほめる(評価する)とき時には愛情をこめてキチンとほめる(評価する)ところも好きでした。
 淡谷は物真似の清水アキラを嫌っていましたが、ある特清水アキラにとっては珍しくまともな物真似をしました。
 10点満点を出して清水アキラを真顔でほめていました。「やればやれるのよ」・・・
 
 また、「淡谷のり子」は、戦争に反対して平和のための活動に数多く参加しています。
 「区民のための平和コンサート」、「甦れ、地球」などの平和を願うコンサートが数多く参加しました。
 戦時中に、軍部からの再三の圧力に屈することなく、頑固に自分の歌唱スタイルを貫き通したという「反骨精神」が、このような平和を願う活動の原動力だったと思います。
 私はこの点の「淡谷のり子」も好きなんです。

 晩年はほぼ寝たきりの状態でした。
 1999年、92歳で逝去。

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