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7月29日 日米修好通商条約が結ばれた 

 日米修好通商条約は江戸末期、新暦1858年の今日、日本とアメリカ合衆国の間で結ばれました。
 
 4年前の日米和親条約により、日本初の総領事として下田に赴任したハリスは、当初から通商条約の締結を計画していましたが、日本側は消極的態度に終始していました。

 老中堀田正睦は孝明天皇の勅許を獲得して世論を納得させた上で通商条約を締結しようとしますが、許可が出なくて失敗に終わり、辞職に追い込まれました。
 ハリスは、中国でおこったアロー号事件で、清に出兵したイギリスやフランスが日本を侵略する勢いがあることを説明して、それを防ぐにはアメリカと通商条約を結ぶほかないと説得しました。

 大老の井伊直弼はハリスの説明を受けて脅威に感じ、天皇の勅許がないままでも独断で通商条約締結に踏み切りました。
 通商条約は神奈川沖の米軍艦上で調印されました。

 その結果、神奈川・長崎・箱館(函館)・新潟・兵庫を開港し、下田を閉鎖しました。
 さらに、 領事裁判権(治外法権)をアメリカに認めることと、関税自主権がないことを認めました。 おもにこの2点が不平等条約として日本に不利な内容を持っていました。

 領事裁判権(治外法権)を認めるということは、日本で犯罪を犯した外国人を日本で裁くことができないということです。
 関税自主権がないということは、輸入品にかける関税の率を日本だけで決められないということです。
 どれも不当な内容でした。

 こうして外国との貿易が始まったわけですが、この貿易の影響は計り知れないものでした。生糸と茶は大量に輸出されたので国内では品不足になり、値段が10倍以上に跳ね上がりました。
 一方、外国からの安い綿糸や綿織物は、国内の織物業者に大打撃を与えました。

 物価は高騰し、貧しい庶民たちの暮らしを圧迫しました。討幕運動がさらに燃え上がっていきました。

 この不平等条約の改正はそう簡単にできるものではなくて、治外法権の撤廃に成功するのは日本が日清戦争において清に勝利した後の1899年です。
 また、関税自主権の回復を果たすのは日露戦争後の1911年でした。
 
 軍事力次第で対等の条約を結んでもらえるかどうかが決まる厳しい時代でありました。
 ただ、不平等条約を撤廃したいと切に思っていた明治のはじめごろ、朝鮮に対する武力威嚇をして結ばせた日朝修好条規では朝鮮に不平等条約を押しつけています。
 人間でも、政治でも、こういうタイプは好きません。

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