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7月30日 プロレス記念日

 今日は、「プロレス記念日」です。
 1953年7月30日に力道山が日本プロレスリング協会を結成したことに由来しています。

 力道山は大相撲の力士の出身で、「日本プロレス界の父」と呼ばれているプロレスラーです。 
 身長176cm、体重116kgでしたから、外国のプロレスラーとくらべると小さいぐらいだったのを覚えています。

 力道山は、はじめに二所ノ関部屋に入門しました。
 1949年5月場所に関脇にまで昇進しましたが、1950年9月、場所前に突然廃業し、相撲界から引退してしまいました。

 建設会社で働いていましたが、ナイトクラブでのけんかもとでハワイ出身の日系レスラー・ハロルド坂田と知り合って、やがてプロレスにひかれていき、プロレス転向を決意しました。
 1952年にアメリカに渡り、翌年、帰国して「日本プロレス協会」を設立しました

 私の小学生のころ、テレビが普及しはじめたこともあって、力道山の人気はすさまじいものがありました。
 自分より大きな外人レスラーに始めのうちはやられるのですが、はらはらして見ているとやがて空手チョップが勢いよく飛び出し、相手を叩きのめします。これに私たち子どもは熱狂しました。大人も熱狂していました。
 でも、あの空手チョップはそんなに威力があるのかな、と思ったこともありますが・・・・。

 ルー・テーズとの試合は好試合で気合いが入っていました。また、額に噛みついて相手を血まみれにする悪役ブラッシーとの試合では血だるまになって闘っていました。

 そんな私を見て、父は「プロレスはショーだから・・・」とよく言っていました。その意味を私が理解できたのはずっと後ですが、すでに1954年の日本ヘビー級王座の決定戦で、柔道王者の木村政彦に勝った試合が八百長崩れであることが明らかになっていました。

 当時はプロレスに一定のストーリーがあるということは当時まったく知られていなかったのです。
 1954年の日本ヘビー級王座決定戦以後、プロレスは三大紙やNHK等の一般メディアの取材対象から外れることになりました。
 現在でもストーリーがあるのでしょうか。
 最初から勝ち負けが決まっているのでしょうか。そんなように感じる試合もありますが、そうとは思えない、すごく緊迫感のある勝負もあります。

 さて、とにかく当時は力道山は日本中のヒーローでしたが、かなり粗暴だったのが残念なところです。
 1963年の暮れ12月、遊んでいた赤坂のキャバレーで、暴力団の構成員と足を踏んだ、踏まないで口論になりました。これは力道山が踏まれてもいないのにいちゃもんをつけたものです。
 馬乗りになって相手を殴っていたところ、下になってる相手が持っていた登山ナイフで下から腹部を刺されました。
 だが、自分から持ちかけたけんかということもあり表沙汰にはせず、知り合いの勤める産婦人科の病院に入院しましたが、その傷が原因で12月15日に化膿性腹膜炎で死去しました。

 粗暴でしたが、「日本プロレス界の父」といわれる功績を残しました。弟子にはジャイアント馬場、アントニオ猪木がいます。
 生前は朝鮮人であることを隠していました。彼は、日本人として生きざるを得なかったと思います。
 力道山が活躍した時代は、現代よりも数段に差別が厳しい時代だったからです。

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