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8月1日 小野妹子(第2回遣隋使)

 飛鳥時代の607年、推古天皇15年7月3日、新暦では8月1日、 小野妹子を使者として第2回遣隋使が派遣されました。

 小野妹子(おの の いもこ)は歴史の教科書にはかならず登場する人物です。中学生高校生にとっては有名な人物ですが、成人も含めて小野妹子を女性と思っている人がまだ多くいます。
 「妹子」でありますがれっきとした男性です。
 当時は「子」が男女のどちらにも用いられました。

 さて、教科書の記述にとると、遣隋使として隋に派遣されています。聖徳太子の命によって派遣されました。

 日本の通説では、 「日出づる処の天子(天皇)、書を日没する処の天子(隋の皇帝)に致す。恙なきや(お元気ですか)」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされています。
 
 この文言は当時の日本(の天皇)が隋(の皇帝)に対等の立場で述べたものであったために、隋の皇帝・煬帝が激怒したことで知られています。

 小野妹子は隋の使者・裴世清を伴って帰国しましたが、煬帝の返書は帰る途中に百済で紛失したと伝えられています。
 これについては、煬帝の返書が日本を隋の属国とみなした内容であるため小野妹子がわざと紛失したことにしたのではないかという説があります。

 小野妹子は、一時は流刑されましたが、やがて恩赦で許されました。翌年、隋への返書と裴世清の帰国のため、第3回遣隋使としてにふたたび派遣されました。
 遣隋使というのは、生きて帰れるかどうかもわからない危険な旅でした。

  さて、小野妹子の子孫といわれている人物には小野毛人、小野岑守、小野篁、小野道風(書道の大家)、小野小町(世界三大美人の一人)などがいます。

 小野妹子については、資料が乏しく、詳しいことはよくわかっていないのが現状です。

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