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6月8日 「方丈記」の鴨長明死去

 「方丈記」は、鴨長明によって書かれた日本の中世文学の代表的な随筆です。その鴨長明が1216年の今日、死去しました。

 晩年、日野山に方丈(3m四方、今の4畳半)の庵を結んだことから、随筆の名前を「方丈記」と名づけました。乱世をいかに生きるかというテーマの自伝的な人生論です。

 清少納言の「枕草子」、吉田兼好の「徒然草」とをあわせて日本三大随筆ともよばれています。
 なお、吉田兼好が「徒然草」を書いたのは、この後およそ100年も後のことであります。

 鴨長明は無常観の文学と言われています。「方丈記」の冒頭で移り行くもののはかなさをこう語りました。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」

 また、鴨長明は、自身が生きた平安~鎌倉時代や過去の災厄について記述を残しました。

 たとえば、1177年、4月28日午後8時ごろ、都の東南で、舞人の宿屋が火の不始末が原因で出火したこと、災はまたたく間に都の西北に向かって燃え広がり、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰燼に帰したこと、公卿の邸宅だけでも16軒、一般家屋に至っては都の3分の1が焼失したこと、死者は数10人であったことなどを記しています。

 1180年4月の中御門大路と東京極大路の交差点付近に大きな竜巻(辻風)が発生したこと、風は周囲にあるものをあっという間に飲み込み、家財道具や檜皮、葺板などが、あたかも冬の木の葉のように宙を舞ったこと、風の通ったあとには、ぺしゃんこに潰れたり、桁や柱だけになった家が残されたこと、竜巻は市街地を南南西に向かって走り抜け、現在の東本願寺 の手前辺りで消滅したことなどを記しています。

 また1181年~1182年ごろ、2年間にわたって飢饉があり、諸国の農民で逃散する者が多かったこと、朝廷はさまざまな加持祈祷を試みたが甲斐なく、諸物価は高騰し、さらに疫病が人々を襲ったこと、仁和寺の隆暁法印という人が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、四万2300余に達したということも記しています。

 なお、この飢饉は自然発生的なものではなく、源頼朝・木曽義仲 の挙兵や平氏が福原京に遷都したことによって都への貢米が押しとどめられ、食糧難に襲われたものであると想像されています。
 1185年7月9日、大きな地震が都を襲いました。山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた、余震は3ヶ月にもわたって続いたということです。

 「方丈記」はこのように今日的な防災という観点から見ても、きわめて貴重で興味深い資料となっています。

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