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6月20日 相沢忠洋(岩宿遺跡を発見)が生まれた

 現在の中学生の歴史教科書で、日本の歴史の始まりは旧石器時代としています。
 日本の旧石器時代は約10万年前のことです。縄文時代よりも古い時代です。

 旧石器時代の一番の特徴は、当時の人類が打製石器を作って使っていたかどうかということです。日本では打製石器が発見されていなかったので、学界では日本には旧石器時代はなかったとされていました。

 1949年の夏、納豆の行商をしながら独学で考古学の研究を行っていた相沢忠洋が岩宿(群馬県)の関東ローム層(赤土)の中から、明らかに人類の手が入っていると認められる槍先形石器を発見しました。
 (相沢は1946年に岩宿の切り通し関東ローム層の露頭した断面から、細石器に酷似した石片を発見していました。ただし、旧石器と断定するまでには至らず、確実な旧石器を採取するため、相沢は岩宿での発掘を独自に続けていた最中でした。)

 今日6月20日は、その相沢忠洋が誕生した日です。
 相沢は尋常夜学校が最終学歴ですが、考古学に深い興味を持った青年で、考古学研究の時間が取りやすいために納豆の行商をしていました。

 相沢は生涯の師となる芹沢長介に相談し、芹沢からの連絡を受けた明治大学助教授杉原荘介(当時)のもとで岩宿の発掘調査がおこなわれました。
 その結果、旧石器(打製石器)が確認され、日本における旧石器時代の存在も同時に証明されることとなりました。
 
 歴史の定説をくつがえす大発見でした。

 しかし、驚くべきことは、当時この重大な発見について、相沢の功績はいっさい無視され、明治大学や学界やマスコミでは旧石器時代を発見したのはすべて杉原荘介の功績とされたのです。
 
 さらに相沢に対して売名行為・詐欺師などと、事実に反する誹謗・中傷が加えられました。「行商風情が・・」などと蔑視して、彼の功績を否定しました。
  
  しかし相沢の考古学への情熱は冷めることはありませんでした。地道な研究活動を続け、数多くの旧石器遺跡を発見しています。
 こうした中でしだいに相沢への不当な批判は消えていきました。
 1961年には群馬県から表彰され、1967年に吉川英治賞を受賞しました。
 
 現在では日本の旧石器時代の存在を発見した考古学者として正当な評価がなされています。
 相沢忠洋記念館のホームページ

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