« 5月9日 アイスクリームの日 | トップページ | 5月11日 母の日 »

5月10日 帝銀事件の平沢貞道が獄死

 帝国銀行の犯人として、死刑が確定していた平沢貞通が今日5月10日、獄死しました。享年95歳でした。
 「帝銀事件」とは、帝国銀行椎名町支店で、男が行員らに毒物(青酸化合物)を飲ませ、16人中12人を死亡させた事件です。

 平沢貞道は、1913年、日本水彩画会結成に参画し、1919年には第1回帝展に出品しました。第9回光風会展で今村奨励賞を受賞。1930年、日本水彩画家会委員に就任しており、実力派の画家としての地位を確立していました。

 ところが、1948年8月21日、「帝銀事件」の犯人として、突如、警視庁に逮捕されました。出所不明の、説明できない現金を持っていたのが決め手ともいわれています。
 
 そもそも帝銀事件は、同年1月におこっています。7ヶ月も経っています。この間、事件はどのように捜査されたのでしょうか。

 始めに、遺体から青酸化合物が検出されたため、その扱いを熟知している、あの生体実験で知られた旧陸軍細菌部隊(731部隊)関係者を中心に捜査されていました。

 次に、陸軍第9研究所(通称9研)に所属していた伴繁雄から有力情報が入手されました。
 それによって、事件発生から半年後の6月25日、刑事部長から捜査方針の一部を軍関係者に移すという指示が出ています。こうして陸軍関係の特殊任務関与者に的が絞られていきました。
 しかし、突如、GHQから旧陸軍関係への捜査中止が命じられてしまいます。(クサイ)

 そこで捜査の方向が転換され、他の類似事件でも使われた松井蔚の名刺の捜査に焦点が当てられていきます。
 そして8月21日、松井と名刺交換した人物の一人である画家の平沢貞通が北海道小樽市で逮捕されました。

 平沢は公判で無実を主張しましたが、1955年に死刑が確定しました。
 しかし、歴代の法務大臣が死刑執行命令書に署名しなかったため執行されませんでした。
 新聞記者の前で一度に23人の死刑執行に署名した田中伊三次という法務大臣でさえ、「これは冤罪だろ」と言って死刑執行を命じなかったといいます。

 長年宮城刑務所に収監されていましたが、その後高齢のため体調を崩し、1987年5月10日に八王子医療刑務所で肺炎を患い、獄中で病死しました。

 平沢に対する冤罪事件として、平沢の無実を信じる人々は、今、第19次の再審を請求中です。 

« 5月9日 アイスクリームの日 | トップページ | 5月11日 母の日 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503568/41151358

この記事へのトラックバック一覧です: 5月10日 帝銀事件の平沢貞道が獄死:

« 5月9日 アイスクリームの日 | トップページ | 5月11日 母の日 »