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3月10日 東京大空襲

 太平洋戦争末期の1945年3月10日は「東京大空襲」の日です。

 アメリカ軍による空襲は106回ありました。「東京大空襲」という場合、とくに規模がもっとも大きかった、この日の空襲のことをいいます。
 
 太平洋戦争中に行われた空襲の中でも、とりわけ民間人に大きな被害をもたらした空襲として知られています。
 なぜかといいますと、もともと家を焼くことが目的だったからです。爆弾を落として、家を焼けば、戦争に直接関係のない民間人を殺傷することがわかっていての空襲だったのです。
 やり方も市街地と市民そのものを攻撃の対象にした低高度夜間爆撃でした。

 B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は、午前0時7分に深川地区へ初弾が投下されました。その後、爆撃地域がしだいに広がり、午前0時20分には浅草地区でも爆撃が開始されました。
 
 火災の煙は高度7000mまで達し、秒速20mと台風並みの烈風が吹き荒れました。当夜は低気圧の通過に伴って強い北西風が吹いており、この強風が大きな被害をもたらしたといえます。 

 この時使用された焼夷弾は日本家屋を標的にしたものであり、爆発力ではなく、燃焼力を主体とした「焼夷弾」が開発されていました。これが木造を主とする日本家屋を直撃しました。

 火災から逃れるために、燃えないと思われていた鉄筋コンクリート造の学校などに避難した人も多くいました。
 しかし、火災の規模があまりにも大きいため、火災旋風がいたるところで発生し、建物に炎が滝のように流れ込み、焼死する人や、炎に酸素を奪われて窒息死する人も多かったということです。

 また、川に逃げ込んだものの、水温が低く凍死する人が多く、翌朝の隅田川は凍死・溺死者で川面が溢れていたといいます。

 こうして8万人以上(10万人以上とも言われる)が犠牲になり、焼失家屋は約28万戸に及び、東京の3分の1以上の面積(約40平方キロメートル)が焼失しました。

 この「東京大空襲」を振り返ると、どんなことがあっても平和が大切だということですね。
 平和を守って行きましょう。

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