« 3月25日 唐人お吉の命日 | トップページ | 3月27日 サクラの日 »

3月26日 ベートーベンが亡くなった日

 今日は、ドイツの作曲家で「楽聖」と呼ばれ、学校でもかならず習うベートーベンがウィーンの自宅で亡くなった日です。
 「運命」「英雄」「田園」「月光」「歓喜の歌」「悲愴」「エリーゼのために」などの名作を残しています。
 ベートーベンの作品は古典派音楽を集大成としたものと高い評価をされています。

 1770年12月17日ごろ(正確にはわかっていません)、ドイツのボンで生まれました。  ベートーベンの一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であった祖父の支援により生計を立てていました。ベートーベンの父も宮廷歌手でしたが、アルコール依存のために喉を患っており、収入はほとんどありませんでした。
 
 このため、祖父が亡くなると一層生活が苦しくなりました。幼い頃より、ベートーベンは父から強制的に音楽の教育を受けることとなりますが、父の教育の目的は、才能を利用し収入を得ることだったといわれています。

 10代には、父に代わって家計を支えていました。母は父とは対照的にベートーベンを大切に育てました。ベートーベンの才能が認められ、収入を得た際には涙を流して喜んだといいます。

 1787年、16歳のベートーベンはウィーンでかねてから憧れを抱いていたモーツァルトに出会い弟子入りを申し入れました。
 しかし申し入れた矢先に母が死去し、父と幼い2人の弟の世話のためモーツァルトに師事することをいったん断念しました。
 
 1792年からウィーンに移住して活動を開始するものの、そのころすでにモーツァルトは死去しておりますので、ハイドンに師事しています。
 ウィーンでのベートーヴェンはピアノの即興演奏の名手として名声を高めました。

 20歳代後半ごろよりベートーベンは持病の難聴が徐々に悪化していきました。後年には聴覚を失いました。
 音楽家として聴覚を失うという死に等しい絶望感から自殺も考えました。しかし、後日、強い精神力で自らの苦悩と向き合い、再び生きる意思を得て新しい芸術の道へと進んでいくことになります。1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品がつくられます。

 晩年は、慢性的な腹痛や下痢など体調の悪化など、苦悩の日々を送りました。
 しかし交響曲9番などの大作を発表した前後からの晩年の作品群はベートーヴェンが到達した境地の高さを示すものとなっています。

 こうして名実ともに一流の作曲家となったベートーベンでしたが、長期間の飲酒癖(とくに質の悪いワインを好んだ)により肝硬変から黄疸と肝不全を患って、もはや治癒の見込みはなくなっていきました。

 1826年、ベートベンの病は命を脅かすほどまでに進行し、シューベルトなどが見舞いに訪れるなどしていましたが、1827年の今日、ついに波乱に満ちた56年の生涯を終えたのです。

 29日の葬儀には2~3万人の市民が参列し、宮廷歌手が棺を担いで弟子たちがそれに続きました。しかし、数々の作品を献呈され交際のあった貴族たちは誰も出席しませんでした。

 

« 3月25日 唐人お吉の命日 | トップページ | 3月27日 サクラの日 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503568/40643847

この記事へのトラックバック一覧です: 3月26日 ベートーベンが亡くなった日:

« 3月25日 唐人お吉の命日 | トップページ | 3月27日 サクラの日 »