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3月21日 国際人種差別撤廃デー

 今日は「国際人種差別撤廃デー」です。1966年の国連総会で制定された国際デーの一つです。

 1960年、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対して警官隊が発砲し、69人が死亡しました。この事件をきっかけに国連が人種差別に取り組む姿勢を打ち出しました。

 明日は、世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される予定になっています。

 さて、南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)は、各地の人種差別の中でも最悪の物でした。国家権力を使った強制力のある政策だからです。国際連合は「人類に対する犯罪」と呼びました。

 白人政府は、「南アフリカにはたくさんの民族が住んでいて、それぞれ違う伝統や文化、言語を持っている。それぞれの民族が独自に発展するべきだ。アパルトヘイトは差別ではなく、分離発展である」と表向き主張していました。
 そらぞらしい弁明です。分離発展とは何という言いぐさでしょう。

 白人政府のねらいは、少数の白人による政治的経済的な特権を維持して、安いな労働力を非白人から供給することにありました。

 黒人達は白人が経営する農園や工場で働き、給料は白人の10分の1以下でした。
 しかも失業が多いため、1人の給料でたくさんの親戚を養うことも多かったといいます。住む家も、狭くて非衛生的な空き地に粗末な小屋を立てて生活せざるを得ませんでした。

 黒人達が住むホームランドや黒人居住区の道路は舗装されていない道が多く、舗装されていても穴が多く、維持・管理が不十分でした。

 隔離(別々に分けるという意味)するのがアパルトヘイトですから、何から何まで分けられました。広くきれいな白人専用の浜辺、豪華な白人専用の列車と駅舎、白人専用のバス、白人選用の豪華なホテル・・・。

 黒人専用のものはどれにも「狭い」「汚れた」などの形容詞をつければ実態があらわされます。

 隔離された人々には、黒人、アジア人、カラード(白人と原住民との混血)がいました。
 
 日本人は、南アフリカ共和国にとって重要な貿易相手国なので、「名誉白人」の扱いでしたが、白人との結婚も、人種の違う人間がおなじ場所に住むことも許されませんでした。 

 1980年代に入ると、国内各地でますます反対運動が激化してきました。また、国際的な経済制裁を受けました。
 世界各国がアパルトヘイトに反対して経済制裁を進める中で、日本は南アフリカにとって最大の貿易相手国になっていきました。これには国際的は非難が日本に寄せられました。

 オリンピックや各種の大会でも南アフリカ共和国は参加を認められませんでした。

 これらの国際的な非難・反発を受け、白人政府は方針を転換し、撤廃に向けての改革を進めていきました。
 
 そしてネルソン・マンデラを釈放されたのに続いて、国会でアパルトヘイト政策の廃止を宣言し、6月には人種登録法、原住民土地法、集団地域法が廃止され、アパルトヘイト政策は完全に廃止されたのです。

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