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3月25日 唐人お吉の命日

 今日は、いわゆる唐人お吉、斎藤きちの命日です。お吉の命日は3月27日ともいわれています。お吉の墓がある下田の宝福寺では27日に法要と「お吉まつり」がおこなわれます。

 斎藤きちは三河(現在の愛知県)出身ですが一家で下田に移り住みます。
 訳あって14歳で芸者となります。ところが瞬く間に下田一の人気芸者になりました。大変な美貌の持ち主だったといわれています。

 ある時、下田に来ていたアメリカ総領事ハリスが体調を崩して床に臥してしまいました。アメリカ人通訳は下田役人に看護婦を要求しました。ハリスの看護婦として役人に口説かれたのが下田一の芸者お吉だったのです。
 なぜ芸者かというと、病気の看護と身の回りの世話が混同されて、下田役人がアメリカの要求を、「めかけ」の斡旋依頼として誤解したからです。
 
 だれもが外国人に偏見をもっていた時代でもあり、婚約者もいたお吉は固辞しますがやむなくハリスのもとに赴きます。
 次第に羽振りが良くなっていくお吉に対して、人々の目は同情から嫉妬と軽蔑へと移っていきました。

 ハリスの病気が回復した3か月後、お吉は解雇されて芸者にもどりましたが、下田一の芸者だったにもかかわらず、冷たい目を向けられ続けられました。

 お吉は、しだいに酒色に溺れるようになりました。鶴松と同棲して髪結いを始めますが、2年後に廃業してしまいました。「唐人」という世間の罵声と嘲笑をあびつづけました。

 その後数年間、貧困から身を持ちくずし、物乞いを続けました。そして豪雨の夜、下田の稲生沢川の淵に身を投げて自ら命を絶ちました。51歳でした。

 下田では死後も冷たく扱われました。斎藤家の菩提寺は埋葬を拒否しました。

 哀れに思った下田宝福寺の住職によって境内の一角に葬られました。

 お吉の悲劇的生涯は十一谷吉三郎によって「唐人お吉」として小説になりました。舞台でも上演されています。
 墓石も芸能人によって新しく寄進されました。

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