« 2月3日 節分 | トップページ | 2月5日 プロ野球が誕生 »

2月4日 銀閣寺の日

 1482(延徳元)年の今日、足利義政が銀閣(東山山荘・慈照寺)の造営に着手しました。当初、第3代将軍足利義満が建てた金閣(鹿苑寺)にならって銀箔を貼る予定でしたが、実現されませんでした。その理由は、なんでしょうか。

 足利の将軍は15人います。室町幕府の将軍の権力はあまり強固ではありませんが、特に足利義政の時代に将軍の地位はさらに低下しました。
 義政は、暗殺された第6代将軍足利義教の子で、13歳で将軍になりました。はじめは政務に励みますが、やがて夫人の日野富子(これが悪女の代表といわれている)の側近に政治をまかせっきりになります。

 幕府財政が悪化してもなんら対策をたてず、さかんに土木工事をすすめ、社寺詣でや遊楽にふけり、自由きままな生活をもとめました。
 将軍の跡継ぎ問題から応仁の乱を引き起こしましたが、統制力はまったくありませんでした。応仁の乱のさなかに将軍職を弟にゆずり、京都東山の山荘に住みました。戦国の戦乱がはじまってもなお、趣味・風流の生活をすごしました。
 
 東山山荘で義政がすごしていたころ、銀閣を建てました。金閣のように銀を貼り付ける予定でしたが、すでに幕府は弱体化しており、銀を貼る経済力はありませんでした。名前だけ「銀」閣の理由は、はっきり金不足だったのです。

 ブログランキング・にほんブログ村へ

« 2月3日 節分 | トップページ | 2月5日 プロ野球が誕生 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503568/17948288

この記事へのトラックバック一覧です: 2月4日 銀閣寺の日:

« 2月3日 節分 | トップページ | 2月5日 プロ野球が誕生 »