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1月20日 アメリカがモスクワオリンピック不参加表明

 1980年のこの日、カーター・アメリカ大統領は、テレビのインタビュー番組で、ソ連軍によるアフガニスタン侵攻に対して、「1カ月以内に撤兵しなければ、モスクワオリンピックをボイコットする」ことを表明しました。
 一方、史上最高の規模の大会をめざしていたソビエト連邦は、問題のアフガニスタンからの期限内撤兵はならず、アメリカ・韓国・西ドイツ・日本・中国などの不参加が続出しました。
 原因とされるソ連軍によるアフガニスタン侵攻は、許すことができない侵略行為です。しかし、アメリカもベトナムその他への侵略を続けてきました。どちらも「非」であることは明白です。東西の冷戦の中で、スポーツが政治に利用された事件でした。

 日本の不参加は、オリンピックを楽しみにしていた多くの国民を失望させました。がんばって代表の座を勝ちとった選手には、もっと大きな打撃だったとおもいます。
  
 個人の競技者では、4年間の目標にしていたオリンピック出場の機会が、自分たちの手の届かない理由で奪われたことへの失望には大きなものがありました。
 当時、金メダルは確実といわれたレスリングの高田裕司(当時、日本の第1人者で、世界的にみても当時を代表するレスリング選手のひとり)は、絶頂期で迎えるはずのモスクワオリンピックが、日本のボイコット同調で不参加となり、柔道の山下泰裕らと無念の心情を涙で訴えるシーンがテレビで放映され、多くの国民の共感を呼びました。
 山下泰裕やマラソンの瀬古利彦、競泳の長崎宏子は4年後を待つことになりました。
  
 モスクワ大会そのものは平穏に終わりました。ソビエト連邦の失望と怒りは深く、次のロサンゼルスオリンピックでは、東側諸国を巻き込んだ報復ボイコットにつながりました。

 大会後、大量のボイコットを回避するための措置がとられました。一つは、政治的独立です。二つめは、その裏づけになる経済的自立でした。特に、後者の「経済的自立」は、結果的にテレビ放映権や大型スポンサー契約に依存する方向へ傾斜していきました。プロ選手の出場を解禁するなど、ますます商業主義への傾斜を深めています。、

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