トップページ | 2008年1月 »

12月31日 年越しそば

今日は、ついに大晦日になりました。

 大晦日といえば、108回の除夜の鐘を聞きながらの年越しそばです。江戸時代から定着した食習慣とされています。現代でも多くの家庭で、食されているのではないでしょうか。年越しそばは、「年(歳)取りそば」とか「大年そば」「大つごもりそば」ともいわれています。
 
 なぜ食べられているのかというと、最も広く知られているのは、「細く、長く、来年も幸せをそばからかきいれる」と、縁起をかついでいるからでしょう。寿命を延ばし、家運を伸ばしたいという願いがこめられています。そばは切れやすいことから、一年の苦労や厄災、あるいは借金を断ち切る、という意味があるともいわれます。

 また、金箔を使う細工師は、練ったそば粉を使って、飛び散った金粉を集めました。そこから、そばは金を集める、という縁起で食ベられるようになったという説もあります。いかにもお金を使うようになり、お金の力で商人が台頭した江戸時代らしい発想です。
 
 一方、年越しそばを食べ残すと、御利益はまるっきり逆になります。食べ残すと、翌年のお小遣いに苦労するといわれています。みなさん、残さずに食べましょう。

12月30日 免田事件がおこる 

 免田事件は、1948年(昭和23年)の本日午前3時頃におこりました。

 熊本県・人吉市の祈とう師とその妻が就寝中に、何者かに殺害された事件です。人吉警察署は翌年の1月13日、同県・免田村の免田栄氏(当時23歳)を逮捕しました。

 取り調べは想像を絶する厳しさでした。2日間はまったく食事をさせず、3日間眠らせませんでした。殴る・蹴る、「地獄に落としてやる!」、「早く自供して楽になれ!」などと脅迫しました。不眠4日目、暖房の無い極寒の独房室で、意識がもうろうとしていく。もう、限界で楽になりたいという気持ちから「犯行を自供」したのでした。
 
 免田氏は裁判では、「拷問によって自白を強要された」として「全面的に容疑を否認し無罪」を訴えました。

 なんと検事側は、白福一家殺しで使われたとする鉈や、免田氏が犯行時に着ていたとする血痕が着いているズボンやマフラーを、熊本地検で保管中に破棄するなど、証拠隠滅を行っているのです(その後の鑑定を恐れた警察側が隠滅した可能性が極めて高いといわれています)。

 免田氏の無実の声は裁判官には届かず、一審では死刑、二審では控訴棄却、最高裁では上告棄却、死刑が確定しました。
 
 免田氏は「自分は絶対に無実である」と獄中から訴え続け、第6次まで再審請求を続けました。日弁連や市民団体の活動もあり、昭和54年9月27日、福岡高裁はようやく再審開始の決定をしました。そして昭和58年7月15日、熊本地裁・八代支部の村上裁判長は、この判決で、免田氏に対して警察が自供の強要をおこなったことを認め、さらに免田氏のアリバイは成立していると断じました。免田氏が犯行に至ったことはありえないと完全無罪を言い渡しました。

 即日釈放をされた免田氏は57歳。無実を勝ち取るために34年と6ヶ月もかかっています。
 また、日本裁判史上初めての「死刑囚の再審無罪判決」でした。
 
 このような無実の罪(えん罪)は今もあります。犯罪事件総数の中ではホンの一握りかもしれませんが、無実の罪を着せられて、「えん罪」に泣く人は、後を絶たないのが現状です。
 
 恐いのは、いつ自分が間違えられて犯人にさせられ、「えん罪」が降りかかるかわからないということです。

12月29日 「赤とんぼ」の山田耕筰永眠

 1965年のこの日、「赤とんぼ」「この道」「からたちの花」などの名曲を残した作曲家山田耕筰が永眠しました。

  学校教育の音楽の教科書にもよく登場した作曲家です。中年以上の方なら、知らない人はいないでしょう。幼い頃から慣れ親しみ、どの歌も何気なく、思わず口ずさんでしまう名曲を数多く残しました。このほかに「待ちぼうけ」「かやの木山」「しかられて」「中国地方の子守歌」などがあります。生涯の作品数は1500曲をこえるといいます。

 作詞家のコンビとしては北原白秋が有名ですが、「赤とんぼ」は三木露風とのコンビでした。
 
 私が高校生のとき、サークル活動の中で、高校の近くの堤防を歩きながら、みんなで「赤とんぼ」を歌ったことを思い出しました。

    夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か
    山の畑の 桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか
    十五でねえやは 嫁に行き お里の 便りも 絶え果てた
    夕焼け小焼けの 赤とんぼ とまっているよ 竿の先    
.

 また、山田耕筰は、日本の交響曲やオペラ運動の創始者としても知られています。その功績をみとめられ、1936年にフランス政府からレジオン=ドヌール勲章が、1956年には文化勲章が贈られています。

12月28日 毎月28日はニワトリの日 

 毎月28日は鶏(ニワトリ)の日です。「28」「ニワ」の語呂合わせですね。

 ニワトリは、愛玩用、目覚まし時計の代わりでしたが、江戸時代の初めごろには卵を食べる習慣ができました。卵焼きのような料理も生まれています。

  私が小学生のころ、養鶏場でヒヨコを買ってきて、狭い庭で育てたことがあります。ぴよぴよとかわいい鳴き声のヒヨコに、餌のはこべという草を、近くの空き地で取ってきては食べさせ、大きく育っていくのをみるとうれしくなりました。やがて、コケコッコーと鳴き始めました。十分成長しました。ある日、学校から帰るとニワトリがいません。夕飯に変わり果てた「かしわ肉」がありました。一切れも喉を通らなかったのを覚えています。
 
 卵はニワトリにとって種の保存という大切なものですから、殻は簡単には割れないようにできています。小学校の時、先生から、卵の長い方の両端を指で強く挟んで、押しつぶそうとしてもつぶれないほど卵の殻は強いのだ、と教えられました。相撲取りがつぶそうとしてもつぶれなかったのを、テレビで見たことがあります。たしかにつぶれませんでした。

 十数年後、子どもたちの前で同じ口上を述べてやってみましたら、スーパーの卵の殻は簡単につぶれてしまいました。

 大丈夫かな、こんな弱い卵で、元気になるのかなと、不安に感じたことを思い出しました。

12月27日 ダーウィンがビーグル号で出航

 1831年のこの日、イギリス海軍の軍艦ビーグル号が世界一周の航海に出ました。ビーグル号にはダーウィンも乗っていました。

 彼は、5年間にわたる航海で調査をすすめました。南アメリカの草原に埋もれていた化石動物と、現在生きている動物が似ていることを知り、両者の間に深いつながりがあるのではと考えました。また、南アメリカ大陸を南下するにしたがって、ごく近い仲間の種が少しずつ変わっていくことにも気がつきました。太平洋上にあるガラパゴス諸島の動植物の種類が、それぞれ少しずつちがっている反面、南アメリカ大陸の動物と似ている点があるという事実に気づき、生物の起源と進化についての大きな手がかりをつかんだという話はあまりにも有名です。
 
 帰国後も研究を続け、「種の起源」で生物の進化論を確立しました。ただ当時はまだキリスト教の影響が強い時代で、宗教界から猛反発をうけています。

 ダーウィンはその後の進化論の研究の中で、ヒトの由来についても、ヒトと近縁の類人猿の種がアフリカにしか生息しないことから、アフリカで誕生したと予想しました。これもダーウィンの死後にその予想が正しかったことが明らかになっています。ダーウィンは科学を進歩させた偉大な学者の一人です。

 ダーウィンの死後に進化論の正しさが証明され、世の中に認められていきました。ある種のサルがヒトに進化したというのは我々にとっては常識です。

 しかし、人種差別の厳しい地域(アメリカ合衆国、特に南部)では、進化論を学校教育の中で教えるべきかどうかについて厳しい対立が、今なお残っているとはおどろきです。

12月26日 スマトラ沖大地震の大津波

 約22万人の死者を出した、インド洋スマトラ沖大地震の大津波が発生したのは、2004年の今日のことです。

 平均10mの高い波(建物の4階の床ぐらいの高さか?)が、ジェット機並みのスピード(約700km/h)で数回、インド洋沿岸に押し寄せました。地形によっては34mに達した場所もありました。

 私は、この日、なんとなくテレビを見ていたら、津波が海岸を襲い、人々が逃げまどう映像がながされました。それ以後は画面に釘付けになりました。何度も繰り返される津波の映像画面が目に焼き付きました。家族や知人をなくした悲しい知らせに涙を流しました。津波の爪痕の映像に「とても逃げられるものではない。恐いなあ」と身を震わせました。
 
 新年の職場の話題をさらったのも津波でした。小中学生の冬休みの宿題でも、10人中9人までがこの津波を取り上げました。

 世界の地震の10%は日本でおきているそうです。まさに「地震国日本」です。どこで地震がおきても不思議ではありません。
 地震の被害を最小限にとどめるような国の対策は当然ですが、私たち一人ひとりにとっては、すくなくとも自分自身と家族を守るために、防災の努力が不可欠ですね。

12月25日 チャップリン、88歳で永眠

 本日、クリスマスの朝、「喜劇の王様」といわれたチャップリンが、スイスで88年の人生に幕を閉じました。

 山高帽にドタ靴、ダブダブのズボンにステッキ、そして口ひげというスタイルには、とても懐かしさを感じる方が多いと思います。数多くの話題作の監督・主演、さらに脚本・音楽・編集・制作もしました。
 最初の作品は「成功争い」です。チャップリンスタイルは1914年、2作目の「ベニス海岸の自動車競争」で考案されています。「犬の生活」「サニーサイド」「一日の行楽」「キッド」などに続いて、「パリの女性」で作家としての才能を開花させたといわれています。
 
 ついで「黄金狂時代」「街の火」「モダンタイムス」、ヒトラーの政治を風刺した「独裁者」、アメリカを追放されるきっかけになった「ライムライト」が発表されました。
 アメリカを痛烈に皮肉った「ニューヨークの王様」は1957年に公開されましたが、アメリカでは1970年まで公開されていません。最後の作品は78歳の時の「伯爵夫人」(監督のみ)になりました。
 
 なお、彼は、アメリカを追放されて20年後の1972年、アメリカ映画界からの事実上の謝罪を意味するアカデミー賞特別名誉賞を受賞するまで、アメリカの地を踏みませんでした。

ユーモアとペーソスをまじえ、痛烈な皮肉を加えて、それぞれの時代を見事に描いた作品を多く残しています。

12月24日 沢庵和尚とたくあん 

 沢庵(たくあん)和尚は、1573年の今日、但馬国(現在の兵庫県)の出石で生まれました。信長によって足利義昭が追放され、室町幕府が滅びたころです。

 沢庵は、京都、堺で修行を積み重ねて、大徳寺の住職になりました。有名な紫衣(しえ)事件のさいには、幕府に対して反骨精神を発揮し、紫衣の取り上げに反対する運動を起こしました。しかし、処罰をうけて、出羽国(現在の山形県)に配流されました。
 
 ダイコンの漬物であるいわゆる「沢庵漬け(たくあん・たくわん・しんこ・こうこ)」は、沢庵が考えたとも、あるいは関西で広く親しまれていたものを、沢庵が江戸に広めたともいいます。「たくわえづけ」がなまったともいわれます。いずれにしても、沢庵和尚の影響力の大きさがはかられるエピソードであります。

 和食の食堂では、たくあんが付けられてきます。あなたの町では何切れ付けられてきますか。
 
 二切れが多いですが、三切れのところもあります。一切れは「人を切れということか」、三切れは「身を切れということか」と武士が怒り出したから、二切れになったという話が残っています。
 また、吉川英治の「宮本武蔵」では、たびたび武蔵を諭す和尚として、武蔵と結び付けられています。
 なんとなく親しみを感じている人物のうちの一人です。

12月23日 東京タワー完成

 東京タワーの完工式が、1958年の今日行われました。
 
 東京タワーの本名を「日本電波塔」といいます。東京のトの字もありません。
 高さは333mで、パリのエッフェル塔よりも8.6m高く、当時は世界一でした。建設の中心にいた前田久吉は、「建設するなら世界一でなければ意味がない」と強く主張したといいます。総工費は当時のお金で約28億円でした。
 
 タワー建設の本当のねらいは、テレビ・ラジオなどの各放送局の電波塔の一本化です。完成後の一本化には紆余曲折があって、全放送局が集まったのは、なんと22年もあとの1980年のことでした。各局の意地とか対立とかがあったのでしょうか。

 2011年7月24日に、地上アナログテレビ放送が終了します。老朽化がすすんでいますし、電波エリアの確保のためにも、新東京タワー建設の構想があります。

 東京タワーの完成間もないころは、空気が澄んでいて、北は筑波山・赤城山、南は伊豆大島、西は富士山を越えて日本アルプスまで一望できたといいます。すばらしい眺めだったことでしょう。
 

12月22日  冬至、シーラカンス

 冬至の日は、一年の間で昼が最も短く、夜が最も長い日です。
 日本では、この日にゆず湯に入り、かぼちゃ、冬至粥を食べる習慣がありました。この習慣は、風邪にかからないため、金運を祈るするなどの意味がありました
 さてこの日、遠く離れた南アフリカ東海岸で、生きている化石といわれたシーラカンスが見つかっています。漁船が体長1m50cmの奇妙な魚を引き揚げたのです。この魚は4億年前に出現し、数千年前に絶滅したといわれていました。
 コモロ島周辺では、シーラカンスは『使えない魚』という意味で「ゴンベッサ」と呼ばれていました。その価値が明らかになり、高値で取引されるようになった現在では、「ゴンベッサ」は『幸運を呼ぶ魚』という意味になっているということです。人間って、現金なものですね。
 
 シーラカンスの肉には、ワックスが入っており、沢山食べると下痢になってしまうといいます。肉は味が無く、歯ブラシのようで水っぽくて、不味いらしいとのことです。(フリー百科事典「ウィキペディア(wikipedia)」を参考にしました)

12月21日 「赤城の山も今宵かぎり」

 国定忠治(くにさだちゅうじ)が磔の刑で死去した日。1850年。明治まであと18年でした。

 この忠治はヤクザですが、民衆に人気があった義賊的英雄でした。江戸から運ばれた千両箱を奪ったり、ばくちでこしらえた金ではありますが、その金でため池を補修して水不足から救ったり、貧しい民衆に金を配ったりしています。ただのヤクザの親分ではなかったので、明治になってから大衆文化の人気者になったのしょう。地元群馬県にはファンクラブがありますし、「群馬を代表する人物」の投票ではダントツ1位だということです。
 
 しかし、忠治は人を殺したり、関所を破るなどの大罪を犯しています。関八州取締役に追われて逃げ回りますが、脳溢血で足が不自由になり、看病をうけているときに捕縛されて、江戸送りになりました。

 なお、「ギャンブルに御利益あり」と、忠治の墓は年を経るごとに、勝負師によって削り取られて、小さく丸くなっていきました。
 作り替えられて、今の墓は二代目の墓です。

12月20日 霧笛記念日

 今日は、霧笛記念日です。

 このような記念日があろうとはまったく知りませんでした。「霧笛」ってなんとなくロマンチックな響きがします。辞書には「霧が深いとき、安全に航海するため、船や灯台で鳴らす、太い音の汽笛」とありました。

 かつて、津軽海峡は霧が深くて、航海上の要注意の海域でした。そこで1879年のこの日、青森県の太平洋側の北端、尻屋崎灯台に霧笛が置かれました。ボーという霧笛が、20秒おきに4秒間鳴り響きました。

 この尻屋崎灯台は美しく、レンガ造りの灯台では高さは日本一、光度は53万カンデラで日本最大級です。白い灯台の周辺は牧場、芝生、青い海が広がっています。灯台の内部の見学もできます。
 
 記事を書いているうちに、事故で死んだアクションスター赤木圭一郎が歌った「霧笛が俺を呼んでいる」を思い出しました。
 古い話で恐縮です。
 

12月19日 銭湯の大人料金19円に値上げ(1961)

 今日は、私もみなさんも大好きな銭湯のお話です。

 1961年(昭和36)の今日から、入浴料金が19円に値上げされました。小人は8円でした。(コーヒー60円、ビール115円の時代です)

 現在の大人料金はいくらでしょうか。東京都は430円(神奈川県とならんで全国最高)、大阪府は390円です。一番安いのが佐賀県の280円です。銭湯の店舗数はかなり差があります。一番多いのが大阪府の1,078軒、少ないのは島根県、茨城県、佐賀県で、なんと2~4軒ぐらいです。こんなに少ないとはびっくりしました。やはり銭湯の経営は厳しいということでしょうか。一方、私が住んでる大阪は確かに銭湯が多いです。うれしいです。(2007.9.1現在)
 
 銭湯はいいですよね。寝ころんで手足がのばせることが最高です。

 今日のブログの参考にさせていただいた東京都浴場組合のホームページに「銭湯賛歌」ともいうべき詩がありました。最後に引用します。

 詩人の田村隆一氏(故人)は、銭湯を次のように表現しています。

 銭湯すたれば 人情もすたる
 銭湯を知らない子供たちに 集団生活のルールとマナーを教えよ
 自宅にふろありといえども
 そのポリぶろは親子のしゃべり合う場にあらず、
 ただ体を洗うだけ。
 タオルのしぼり方、体を洗う順序など、基本的ルールは だれが教えるのか。
 われは、わがルーツをもとめて銭湯へ。
                                                   毎日新聞より

12月18日 エレキテルの平賀源内が死去

 今日は、江戸時代中期の平賀源内が病死しました。52歳。

 源内は、奇人か変人か天才か、はたまたすぐれた商売人かというまちまちの評価をうけています。たしかに、国学、蘭学、薬学、エレキテルの実験、浄瑠璃や滑稽本の作者、日本初の物産会の開催・竹とんぼの発明、秩父鉱山での石綿の発見、石綿の発売など、活躍の範囲が広いし、功績も大きいです。まさに「日本のエジソン」といわれる所以です。私は彼の万能をみると「日本のダ・ビンチ」の方がふさわしいと思いますが。 

 中学の歴史では摩擦発電機「エレキテル」を習います。しかし、この発明は、雷を箱に閉じこめたそこらの見せ物小屋の出し物程度の喝采しか受けませんでした。
 源内には、人々は真の目的をわかってくれないというあせりといらだちがありました。また、高価な書籍を買うために、彼の台所はいつも火の車でした。

 しだいに絶望していった源内は発作的に人を殺して牢獄に入れられ、破傷風で病死しました。
 生まれてくる時期をまちがうと本人には不幸かもしれませんが、源内のような人のおかげで、学問や科学が一歩一歩進められていくと思います。

 なお、源内が書いて大流行した浄瑠璃「神霊矢口渡」の中で、うなぎ屋と土用の丑の日を結びつけたのは彼のアイデアであるとのエピソードが残っています。

12月17日 ライト兄弟が世界初の飛行に成功

 37m、12秒間。これが動力飛行機で空を飛んだ人類最初の記録です。

 ライト兄弟は、小さいときから機械製作に熱心で、印刷機を作ったり、自転車の製作・修理をしていました。やがてグライダーの研究と製作に向かって大成功をおさめました。
 当時、発明されたばかりのガソリン機関を動力として使うことを考え、エンジンとプロペラを設計して、1903年夏最初の動力飛行機が完成しました。「フライヤー」と名付けました。機体に腹這いになって操縦するもので、重さは274キロありました。

 12月14日の試験飛行は失敗しましたが、3日後の今日、木のレールの上を滑走して空に向かって離陸しました。
 この日は4回も飛行を行い、すべて成功しています。最後には、260m、59秒間の記録を作りました。ライト兄弟の興奮が伝わってくるようです。
 
 二人は、アメリカではあまり注目されなかったため、ヨーロッパで飛行して人々を熱狂させました。
 この動力飛行機はやがてフランスで発達し、第1次世界大戦が始まると各国で研究されて軍用に利用されます。

 以前、取り上げたダイナマイトがそうであったように、動力飛行機も戦争に利用されていったのでした。  

 

12月16日 わが国初の高層ビル火災

 どんなことがあったか調べていたら、1932年の白木屋デパートの4階からおきた火事のことが書いてある書物に出会いました。

 死者14人、重軽傷者21人の大惨事で、これがわが国初の高層ビル火災です。戦前なので和服姿の女性が多く、恥ずかしがって飛び降りない女性が続出しました。火事の怖さと恥ずかしさの間で躊躇しているようすがみえるようです。

 なお、これをきっかけにして西洋式の下着を身につける女性が増加したそうです。

 

12月15日 チェルノブイリ原子力発電所閉鎖

 1986年4月26日未明、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の4号炉の爆発事故により、一瞬のうちに原子炉が破壊され、火災が発生しました。

 火災は10日後にようやく収まりました。この原発事故により、大量の放射能が大気中へ放出され、風にのり、世界各地に広がりました。約8,000キロ離れた日本でも、野菜・水・母乳などから放射能が検出されました。
 
 こどもたちの間に甲状腺ガンや機能障害などの深刻な影響をもたらしました。さらに放射能は大地や水、空気を汚染し、そこで暮らす生物すべてが汚染されてしまいました。しかし、約600万人の住民がこの汚染地域内での生活を余儀なくされています。まわりの仲間たちが次々と亡くなっていくのを目の当たりにし、将来に希望を持てずアルコール中毒になったり、自ら命を絶つ人も少なくないということです。

 そしてこの日、チェルノブイリ原子力発電所の残っていた発電炉はすべて閉鎖されました。 
 
 日本にも原子力発電所が各地にあります。中越沖地震の時には、東京電力の柏崎刈羽原発の建物が一部壊れました。活断層の上に位置していたからです。各地の原発もかなり多くが活断層の近くに建設されています。
 
 地球温暖化にとって温室効果ガスを排出しないということで、安全性をアピールしていますが、もしも、チェルノブイリやアメリカのスリーマイル島のような事故が起きたら、狭い日本のどこに逃げたらいいのでしょうか。

 私は、不安を持っています。

12月14日 赤穂浪士の討ち入り

 ご存じ赤穂浪士の討ち入りがあった日ですといいたいところですが、若者だけでなく中年のお父さんあたりも知らない方が多くなっています。

 元禄15年12月14日、雪が降りつもる午前3時ごろ、大石良雄以下四十七士は江戸本所の吉良邸に討ち入り、主君浅野内匠頭の仇討ちを果たしました。

 この事件はすぐに劇化され、今日のストーリーが定着しました。最近では大仏次郎の「赤穂浪士」やNHKの大河ドラマ(長谷川一夫主演)の影響も大きいだろうと思います。誰もが「吉良は悪いヤツだ」と信じました。
 
 ところが、愛知県の吉良町(吉良家の領地)では、吉良上野介は治世や人柄からも名君として知られており、現在でも地元では非常に慕われているということです。吉良さんと親しくよばれているそうです。
 
 一方、兵庫県赤穂市では赤穂義士まつりが盛大に行われます。こちらの方がとても盛大です。
 歴史にはいろいろな見方があるものです。最近、大石良雄の心理面の葛藤から描いたり、吉良側から描写する映画が制作されていることは大変おもしろいことですね。

12月13日 今年の漢字は「偽」(昨日発表)

 まず始めに昨日からの宿題であった、「今年の漢字」のことですが、「偽」と発表されました。いつわり、ニセという意味があります。

 そういえば暗くて腹立たしい事件がこれでもか、これでもかと次から次に発覚しました。
 
 政治とカネの問題で偽りの釈明を繰り返す大臣、年金記録問題、防衛省の汚職問題、テレビの「あるある大辞典」のねつ造問題、食品では不二家、赤福、船場吉兆の問題などです。
 
 そう考えると、残念ながら今年はマイナスイメージの「偽」でも仕方ないかと思えてきます。
 

 なお、きょうは東京の隅田川に両国橋がかけられた日です。1659年のことです。

12月12日 漢字の日

 漢字の日。 なぜ、今日が漢字の日?
 「いい字いい字」の語呂合わせで決められました。(納得です)

 日本漢字能力検定協会は、毎年、この日、日本の今年の世相にあう漢字一字を全国から公募します。もっとも多かった漢字が「今年の漢字」として発表されます。
 

 1995年にスタートした企画で、毎年この日に京都の清水寺にて、貫主により巨大な半紙に漢字一字が揮毫されます。
 今年は、どんな漢字になるでしょうか。(明日の記事を見てください)

<歴代のおもな「今年の漢字」一覧>
 1995年 ― 「震」(阪神・淡路大震災の年です)
 1996年 ― 「食」(O-157による集団食中毒が多発)
 1998年 ― 「毒」(和歌山毒物カレー事件)
 2000年 ― 「金」(シドニーオリンピックでの金メダル)
 2003年 ― 「虎」(阪神タイガースが18年ぶりに優勝)
 2004年 ― 「災」(新潟県中越地震。台風23号)
 2006年 ― 「命」(自殺が多発。命への不安)

12月11日 コッホと北里柴三郎

 ドイツ人、ロベルト・コッホ(医師、細菌学者)の命日です。

 コッホは炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者であり、ルイ・パスツールとならんで『近代細菌学の開祖』と称されています。寒天培地やペトリ皿(シャーレ)は彼の研究室で発明され、その後今日に至るまで使い続けられています。
 
 ヒトにおいても細菌が結核の病原体であることを証明しました。(後に結核菌を発見した日を記念して、3月24日は世界結核デーに制定されました)
 さらにインドでコレラ菌を発見し、ツベルクリン(結核菌ワクチン)を創製しました。1905年、結核に関する研究の業績によりノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

 ベルリン大学で教鞭をとっていた彼の弟子には著名な学者が多くいますが、日本人の弟子としては破傷風菌を純粋培養し、ペスト菌を発見した北里柴三郎が有名です。
 
 北里柴三郎は、ドイツ留学から帰国して、伝染病研究所を創設して研究を続け、香港でペストが流行すると香港にとんでペスト菌を発見しました。赤痢菌を発見した志賀潔は伝染病研究所の研究員でした。この研究所はコッホ研究所、パスツール研究所とならんで世界の三大研究所といわれました。
 さらにこの研究所が東京帝国大学の付属機関となると、1915年の12月11日に自力で北里研究所を開設し、所長になりました。

 そののちも、彼は医学の発展に力を入れました。調べてみると、日本医師会初代会長は北里柴三郎だったんですよ。私は、知りませんでした。
 

12月10日 ノーベル賞の授賞式

 今日はノーベル賞の授賞式の日です。ノーベル賞の由来を知らない人がまだ多いですね。ノーベルを記念した賞ですよ。
 
 ノーベルってだれ?
 アルフレッド・ノーベルはスウェーデンの化学者です。ニトログリセリンと黒色火薬を使って、新しい爆薬をつくりました。ダイナマイトの誕生です。ダイナマイトはそれまでのどんな火薬よりも強力でした。鉱山を爆破して鉄鉱石や石炭を掘りやすくし、それらの生産が増えて近代工業はめざましく発達しました。トンネル工事にも使われて道路がつくられました。おかげでノーベルの会社はどんどん大きくなり、特許料も入り、ノーベルの財産はますます増えていきました。
 
 いいことばかりではありませんでした。
 このダイナマイトは戦争にも使われ、今まで以上のたくさんの人命を奪うことになったのです。これを悲しんでいたノーベル(生涯を独身で通した)は、なくなるとき、全財産を投げ出して、毎年、人類の平和と学問の進歩につくした人々に賞金を贈るように遺言しました。これがノーベル賞の始まりです。ノーベル賞は、今日の世界ではもっとも権威のある賞の一つです。

 ちなみに、日本人の今までの受賞者は12人です。最初の受賞者は湯川秀樹博士で、小学校の時分に先生から何度も何度も、どれほどすばらしいことなのか、耳にタコができるほど聞かされて育った私であります。

12.9 障害者週間の最終日

 今日は、12月3日から始まった障害者週間の最後の日です。

 国際連合の「障害者の権利宣言」採択にちなんで、12月9日が障害者の日と定められましたが、「障害者週間」の法定化によってその名称はなくなりました。
 「障害者週間」は、国民の間に広く障害者の福祉についての関心と理解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加する意欲を高めることを目的としています。
 
 私たちも、もっともっと障害者の目線で「これでいいのか」と見直すべきところをみつけ、正していくように声を大きくしていくことが大切ですね。
 じつはまだどこにも訴えていませんが、一つ気がついていることがあるのです。これでいいのかなって。自宅近くの交差点でいつも感じることです。

 点字タイル(歩道や駅に敷いてある黄色のタイル)の上をそのまま歩いて見てください。そのまま歩くと実に不自然なルートを通っていることがわかります。人の流れに逆らったりぶつかったり。通行人が多いときにはあぶないですよ。
 あのラインは視覚障害者の気持ちになって引かれたラインではないですね。気持ちがこもっていないと感じることがあります。

 工事を請け負った業者が、ただ引いただけという気がしてしかたないです。このような箇所は周囲を見渡すと、まだ多くあるのではないでしょうか。
 
 その上、点字タイルにかぶさるように放置自転車がじゃましています。
 なさけないです。

12月8日 ジョン・レノン撃たれる

 1980年のこの日、ジョン・レノンが、ニューヨークの自宅に帰るため車を降りた時、レノンの熱狂的なファンにピストルで射殺されました。享年40歳でした。

 レノンはイギリス・リヴァプールの生まれで、ロックバンド「ザ・ビートルズ」のリーダー格のメンバーでした。オノ・ヨーコと結婚後ミドルネームをOnoとしますが、認められずJohn Winston Ono Lennonと改名しました。
 ビートルズ時代には、ポール・マッカートニーと作曲タッグを組み、リードボーカルをとる「ヘルプ!」「ア・ハード・デイズ・ナイト」「プリーズ・プリーズ・ミー」「ノルウェーの森」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「愛こそはすべて」等、数多くの曲を残しました。

 ビートルズ解散後は「イマジン」などの曲を発表する一方、妻で芸術家のオノ・ヨーコとともに平和運動家としても活動しました。
 私にとってもなつかしいミュージシャンです。
 
 
 また、今日は太平洋戦争の開戦記念日です。わが国で二度と戦争がおこらないことを祈りたいものです。

12月7日 歌人与謝野晶子が生まれた

 明治の女流歌人与謝野晶子は、1878年の今日、大阪府の堺市の商家に生まれました。

 晶子の代表作は「みだれ髪」です。この歌集では、女性による恋愛の奔放な空想と、豊かな情熱を短歌に表現して、世間をおどろかせました。
 女性の自由がなかった封建的な世の中にあって、芸術を通して女性の解放と自我の確立のためにつくしました。さらに5男6女の母としての役割も立派に果たしました。

 私が、一番、心に残っている歌は、日露戦争に出征した弟を思って詠んだ「君、死にたまふことなかれ」です。
  
  ああ をとうとよ君を泣く
  君死にたまふことなかれ
  末に生まれし君なれば
  親のなさけはまさりしも
  親は刃をにぎらせて
  人を殺せとをしえしや
  人を殺して死ねよとて
  二十四までを育てしや 

12月6日 ご存じ水戸黄門様の命日

 今日は、テレビの「水戸黄門」で知られる徳川光圀が世を去った日。73歳。

 彼が水戸黄門と呼ばれるのは、隠居したときに命ぜられた中納言の、中国での呼び方が「黄門」というところからきています。
 名君の誉れ高いゆえんは、いつも民衆のことを忘れない行政をおこなって来たからだといわれています。領地では7キロにも及ぶ上水道を引いて荒れ地を潤しました。庶民の生活にいつも気を配って、病の治療法、薬草などがくわしくかかれている書物を領民に配布したりもしました。

 悪名高い犬将軍、徳川綱吉と同時期に生きた二人。

 今の世も、貧しい国民の立場であたたかい政治をすすめようとしている政治家にくらべ、自分のことしか考えない政治家の方が多いということは悲しいことです。
 テレビの「水戸黄門」は大好きです。悪い代官・家老(地方政治家)を今の世でも退治してほしいです。

12月5日 ミッキーマウスの生みの親、誕生

 今日はミッキーマウスの生みの親、ウォルト・ディズニーの誕生日。 1901年のことです。

 最近はディズニーランドの「ディズニー」が、この人の名前から名付けられたとは知らない若者が増えているといいます。
 代表的なキャラクターであるミッキーマウスは、映画「蒸気船ウィリー」で大評判をとりました。それまで無名だったネズミ君は一躍スターになりました。そして、1932年、漫画部門で最初のアカデミー賞がミッキーマウスに与えられます。ミッキーは当時4歳でした。
 
 このミッキー君の秘密。おどろくことにミッキーは、「ディズニーブラザーズ撮影所」のすみに住み着いていたネズミがモデルだったというます。

 世界のアイドル“ミッキー”はこうして生まれました。

トップページ | 2008年1月 »